はじめに
1500年、ペドロ・アルヴァレス・カブラル率いるポルトガル船団がブラジル海岸に到達しました。この出来事を記録したのが、船団随行の書記官ペロ・ヴァズ・デ・カミーニャがポルトガル王マヌエル1世に宛てた有名な書簡です。本記事では、この「カミーニャの書簡」をテーマとした大学入試の歴史演習問題を5問紹介し、最後に解答とポイントをまとめます。
第1問|UFF 2000
問題:1500年に記されたペロ・ヴァズ・デ・カミーニャの書簡は、ブラジル(テラ・ブラジリス)の基礎文書の一つとみなされており、その文章にはルネサンス文化に共通する価値観が反映されています。中でも際立っているのは次のうちどれか。
- (A) 食人の習俗に着目し、インディオを宗教的世界の外に位置づける視点
- (B) 熱帯では近代的なカトリック文明を築けないとするルネサンス期の偏見に関する情報
- (C) 高温のため何も生産できない「失敗の大地」として新世界を捉える認識
- (D) 15世紀に特徴的な「人間の新しい見方」の経験の帰結として、新世界の自然と人間を観察していること
- (E) 自然と人間を、『創世記』で神が造った姿より劣った存在とみなしていること
第2問|UVA 2004年1期
問題:長らく、ブラジルは偶然によって発見されたと考えられてきました。しかし今日では、偶然ではなく「意図的な発見」説が受け入れられています。この意図性の証拠とならないものはどれか。
- A) トルデシリャス条約へのポルトガル側の固執
- B) ポルトガル人の優れた航海技術
- C) カミーニャの手紙に驚きの表現が見られないこと
- D) 嵐による航路からの逸脱
第3問|FAMERP 2016
資料:
「船団長は一同に、この土地発見の知らせを補給船に託して国王陛下へお送りするのがよろしいかどうか尋ねられました。我々はこれから航海を続けるため、今わかる以上のことを、後でより詳しく知るためです。すると全員、あるいは大多数が、それが良いとの意見でした。さらに船団長は、ここにいる男たちを二人ばかり無理やり連れて行き、代わりに流刑者を二人残すのはどうかとも尋ねました。これに対しては、無理やり連れて行く必要はない、という意見で一致しました。彼らは誰にも言葉の通じない人々だからです。」(ペロ・ヴァズ・デ・カミーニャ『ドン・マヌエル王への手紙』1974年・改変)
問題:1500年5月1日付でポルトガル王に宛てられたカミーニャの手紙は、次のうち何を物語っているか。
- a) 先住民が稠密に居住する土地に対する航海者たち、ひいてはポルトガル王室の無関心
- b) 船団が新たな航海へ進むことを踏まえ、この土地についての知識を深める必要があったこと
- c) 海岸から遠く離れた地域についての先住民社会の知識の乏しさ
- d) 囚人や政治的・宗教的異端者によって新発見の土地を植民地化しようとするポルトガル王室の意図
- e) 沿岸部の豊かな資源や富の採取において先住民の労働力を利用できないこと
第4問|UNICAMP 2011
資料:
「彼らがやって来たとき、船長は首にとても大きな黄金のネックレスをかけていました。そのうちの一人は船長のネックレスを見つめ、手で地面を指し、次にネックレスを指しては、地面に黄金があることを教えようとする様子でした。別の一人は白い数珠玉を見ると、地面を指し、また数珠玉と船長のネックレスを指しては、それと引き換えに黄金を差し出そうと言っているようでした。我々は都合よくそう解釈しました! しかしもし彼の真意が、数珠玉やネックレスを受け取りたいということなら、我々はあえてそう理解しないことにしました。それを渡すつもりはなかったのですから!」(Leonardo Arroyo『ペロ・ヴァズ・デ・カミーニャの手紙』1971年・改変)
問題:この一節から読み取れる、先住民文化とヨーロッパ文化の接触のあり方として正しいものを選びなさい。
- a) 商取引への双方の関心によって促進され、先住民はパウ・ブラジル(ブラジル木)交易を軸とする商館に物資を供給し、入植者と混血しながら植民地体制に組み込まれていった
- b) 発見者たちによる新天地の富の収奪への関心に導かれ、その関心が先住民文化の理解に優先した。その結果、先住民の人口とともに彼らの文化はほぼ根絶されることになった
- c) 先住民の従順さによって円滑化され、先住民が発見者たちとともに新天地の開発に加わったことで、先住民奴隷制を基盤とする植民地体制が成立し、彼らの文化は破壊へ向かった
- d) 植民者が自国産業のための原料確保と工業製品の消費市場の拡大を求めたことが特徴で、これが植民地獲得と先住民の文化的統合への志向につながった
第5問|Mackenzie 2018年第2学期
資料:
「(...)この日、夕暮れ時、我々は陸地を望見しました! まず非常に高く丸みを帯びた山。その南には低い山並みが続き、大きな森に覆われた平地が広がっていました。船長はその高い山をパスコアウ山(Monte Pascoal)、この土地をヴェラ・クルスの地(Terra de Vera Cruz)と命名しました。」(Gustavo de Freitas『歴史文献900選』1986年)
問題:上の文章は、カブラル船団に同乗した書記官ペロ・ヴァズ・デ・カミーニャが、ポルトガル王マヌエル1世に宛ててブラジル発見を報告した手紙の一部です。この航海は当時の社会経済的文脈の中でどのように理解できるか。
- a) 14世紀を通じて封建制の衰退により没落したポルトガル貴族に分与するため、ヨーロッパ大陸内で新たな土地を獲得しようとする試み
- b) 地中海におけるイスラム勢力の進出阻止と新大陸原住民のキリスト教化の両面で利害を持つイベリア諸王国との連携による教会権力の強化
- c) 東方との通商の継続を危うくするヨーロッパの貴金属不足を補うため、アメリカ沿岸で金銀を探索すること
- d) ブラジル海岸の征服と占領を進め、1494年のトルデシリャス条約でポルトガル王室に与えられた領土の実効支配を確実にすること
- e) トルデシリャス条約でポルトガルに保障された土地の正式な領有と、利益の大きい香辛料交易へのアクセスをもたらす大西洋航路の独占的管理
解答とポイント(フィードバック)
- 第1問:D ― ルネサンス期の人文主義は人間中心の視点を掲げ、新世界の自然や人々を好奇の目で観察・記録しました。カミーニャの手紙はまさにこの「新しい人間観」の産物です。
- 第2問:D ― 嵐による航路の逸脱は偶然的要因であり、意図的発見説の裏付けになりません。条約へのこだわり、高度な航海術、手紙に驚きが見られないことは、計画的な発見を示唆します。
- 第3問:B ― 手紙は、船団が先へ進むため、現地の情報を本国へ送り、この土地についての知識を深める必要があったことを示しています。
- 第4問:B ― ヨーロッパ側の最大の関心は新天地の富の収奪にあり、先住民の意思や文化の理解は二の次でした。その帰結として先住民社会は壊滅的打撃を受けます。
- 第5問:E ― この遠征は本来インド航路の開拓を目的としており、トルデシリャス条約で得た権益の確認と、香辛料交易につながる大西洋航路の独占が重要な意味を持ちました。