米英戦争(War of 1812)は、1812年から1815年にかけてアメリカ合衆国とイギリスの間で行われた戦争です。通商妨害や強制徴用(インプレスメント)、西部国境での対立などが原因となり、北米大陸を舞台に激しい攻防が繰り広げられました。
ここでは、この戦争の行方を左右した主要な出来事を時系列でご紹介します。
1. ティッペカヌーの戦い(1811年11月7日)
ウィリアム・ハリソン将軍率いるアメリカ軍と、ショーニー族の指導者テクムセが率いるネイティブ・アメリカン諸部族の連合軍が衝突した戦いです。結果はアメリカ軍の勝利に終わり、北西領土におけるアメリカの支配権確保へとつながりました。厳密には宣戦布告前の出来事ですが、戦争への機運を高めた前哨戦として位置づけられています。
2. カナダ侵攻(1812年7月12日)
アメリカはイギリス領植民地であるアッパー・カナダ(現在のオンタリオ州)とローワー・カナダ(現在のケベック州)の占領を目指し、カナダへ侵攻しました。当初は順調に進んだものの、クイーンストンハイツの戦い(1812年10月13日)で敗北を喫し、侵攻作戦は挫折しました。
3. エリー湖の戦い(1813年9月10日)
オリバー・ハザード・ペリー艦長率いるアメリカ海軍と、ロバート・バークレイ提督率いるイギリス海軍がエリー湖で交戦しました。ペリーの「敵と遭遇した。勝利を収める運命にある」という報告で有名なこの海戦でアメリカが勝利し、エリー湖の支配権を獲得しました。
4. テムズの戦い(1813年10月5日)
ハリソン将軍率いるアメリカ軍と、再びテクムセが率いる先住民連合軍がオンタリオ州のテムズ川沿いで激突しました。アメリカ軍が決定的な勝利を収め、指導者テクムセは戦死。これにより先住民による統一抵抗運動は大きな打撃を受けました。
5. ワシントンD.C.焼き討ち(1814年8月24日)
イギリス軍が首都ワシントンD.C.に侵攻し、ホワイトハウスや議会議事堂などの政府建築物を焼き払いました。これはアメリカ史上初めて首都が外国軍に占拠された出来事です。イギリス軍はその後撤退を余儀なくされましたが、首都に与えた損害は甚大でした。
6. ニューオーリンズの戦い(1815年1月8日)
アンドリュー・ジャクソン将軍率いるアメリカ軍と、エドワード・パケナム将軍率いるイギリス軍がニューオーリンズで決戦を行いました。アメリカ軍が圧倒的な勝利を収め、この戦争に事実上の終止符が打たれました。興味深いことに、この戦いは講和条約締結の知らせが届く前に起こったため、歴史上「無意味だった戦い」とも呼ばれています。この勝利によりジャクソンの名声は高まり、後の大統領選挙への道が開かれました。
7. ガント条約(1814年12月24日)
ベルギーのガント(ヘント)で調印されたこの条約により、米英戦争は正式に終結しました。条約では開戦前の国境線が復元され、両国間の残された紛争を解決するための委員会設立も定められました。領土的な得失こそありませんでしたが、この戦争を経てアメリカは完全な独立国家としての地位を国際的に確立することになりました。