考古学的発見

スーダンで「メロエ文字」が刻まれた石碑群を大量発見――純アフリカ起源最古の文字の謎に迫る

スーダンのセデインガ(Sedeinga)遺跡において、フランスの考古学者チームが、これまで知られている中で最大規模となるメロエ文字の碑文群を発掘しました。メロエ文字は、純粋にアフリカ起源として最古に属する古代文字です。

スーダンで「メロエ文字」が刻まれた石碑群を大量発見――純アフリカ起源最古の文字の謎に迫る

スーダン・セデインガの巨大墓地(ネクロポリス)で発見された、アタケルラの石碑とその希少なメロエ文字の刻印。

碑文学の分野での大発見です。純アフリカ起源の古代文字として最古の証拠となるメロエ文字が刻まれた石碑が、これほど多く一箇所から出土した例は、これまで一度もありませんでした。発見現場となったのは、スーダンの「死者の町」セデインガ。岩の多い砂漠とナイル川の荒々しい河岸の間に広がる広大な墓地遺跡で、現在は頂部を失った約100基の古い葬祭ピラミッドの中から、プトレマイオス朝エジプトやローマと同時代に栄えたアフリカ帝国「クシュ」の住民が残した2300年前の文字が姿を現しました。

装飾を施されたまぐさ(リンテル)や墓廟の扉柱と混在して埋まっていた貴重な石板類を掘り起こしたのは、SFDAS(スーダン考古局フランス部門)の研究者たちです。「石碑は文字通り幾重にも積み重なっていたのに、驚くほど良好な保存状態でした」と語るのは、ニューヨーク自然史博物館アフリカ人類学研究所のヴァンサン・フランシニー氏。発掘調査は、メロエ語とメロエ文字研究の世界的第一人者であるクロード・リリー氏が指揮し、同氏が共同責任者を務めています。

いまだ多くが謎に包まれる文字体系

「今回出土した新しい葬送関連資料は、極めて豊富な情報源となります。メロエの言語に関する理解を大きく前進させられるでしょう」とフランシニー氏は述べます。さらに同氏はこう続けます。「メロエ文字体系はサハラ以南アフリカ最古の文字ですが、およそ1世紀前に読解が可能になったとはいえ、その解明は今なお部分的にとどまっているのです」

この文字は、クシュの支配者たちが自らの言語を書き記すために考案したもので、その起源は紀元前250年頃にさかのぼります。それまでこの地域で使われていたのは、エジプトのファラオたちの文字だけでした。理由は不明ながら、紀元前3世紀に入ると、クシュ最後の王国の名にちなむ「メロエ」の人々は、強大な隣国エジプトから聖刻文字(ヒエログリフ)と筆記体(デモティック)の両方の記号を採り入れ、それぞれに異なる音価を与えることで、独自の文字体系を発展させたのです。

スーダンで「メロエ文字」が刻まれた石碑群を大量発見――純アフリカ起源最古の文字の謎に迫る

メロエ文字の刻印が施された墓廟のまぐさ。©セデインガ考古学調査団

今回の発見まで、石碑や神殿に残るメロエ語の墓碑銘として知られていたものはごくわずかでした。また、出土品の中には、従来のエジプト宗教図像の様式とは異なる特徴を持つ女神マアトの像も含まれていました。

スーダンで「メロエ文字」が刻まれた石碑群を大量発見――純アフリカ起源最古の文字の謎に迫る

セデインガで出土した女神マアトの像。©Vincent Francigny / セデインガ考古学調査団

この像は、アフリカ的な容貌を持つマアト神の像として、世界で初めて確認されたものかもしれません。通常、葬祭礼拝堂の扉柱には、墓地の主神アヌビスが片側に、死者の守護神であるイシス、あるいはその姉妹ネフティスが反対側に描かれるのが定番でした。ところがセデインガでは、秩序・真実・正義を象徴する女神マアトが、それらに代わって主役の座を占めていたようなのです。

スーダンで「メロエ文字」が刻まれた石碑群を大量発見――純アフリカ起源最古の文字の謎に迫る

スーダン・セデインガの「死者の町」の空撮。©セデインガ考古学調査団

数百もの埋葬施設と墓室を擁するこの印象的な墓地は、ナパタ諸王朝期(紀元前600〜300年)の終わりからメロエ期(西暦450年頃)の終わりまで、数世紀にわたって使用され続けました。セデインガと隣接するサイ島の遺跡の研究を通じて、フランス考古学は、スーダンに花開いたヌビア諸王国という特異な古代史の解明に大きく貢献しています。

スーダンで「メロエ文字」が刻まれた石碑群を大量発見――純アフリカ起源最古の文字の謎に迫る

セデインガ墓地遺跡の近くに残る、女王ティイに捧げられたエジプト神殿の遺構。©Bernadette Arnaud

セデインガ遺跡について

セデインガ遺跡は、19世紀にフランス人探検家フレデリック・カイヤーによって報告されました。ナイル川第三瀑布の北約100キロ、川の西岸に位置するこの地は、女王ティイに捧げられたエジプト神殿の遺構があったことから、ナント出身の彼の関心を引きました。この神殿は、紀元前1500〜1100年頃、下ヌビア侵攻の企てへの懲罰としてアメンホテプ3世の軍隊がクシュの民を討伐しに赴いた時代、つまりこの地域における非常に古いファラオ勢力の足跡を今に伝えています。

その近郊で発見されたセデインガのネクロポリスは、25ヘクタール以上の広さを誇ります。日干しレンガ造りの約100基のピラミッドと葬祭墓が立ち並び、最古のものはナパタ王国期(紀元前600〜330年)、その後のものはメロエ期(紀元前300年〜西暦450年)にまで及びます。