歴史上の人物

トイプリナ――スペイン植民地化に立ち向かったトングバ族の女性呪医

トイプリナ(Toypurina、1760年~1799年)は、カリフォルニアの先住民族トングバ族出身の女性で、スペインによる植民地化に抵抗した歴史的人物です。呪医(メディスン・ウーマン)として、入植者たちに対する反乱を指導しました。

スペインのカトリック伝道

トイプリナ――スペイン植民地化に立ち向かったトングバ族の女性呪医

1760年、トイプリナはカリフォルニアに暮らす「大地の人々」と呼ばれるトングバ族のもとに生まれました。彼女がわずか9歳だった1771年、最初のスペイン人入植者がこの地域に定住し、その2年後にはカトリック伝道所「サン・ガブリエル・アークエンジェル伝道所」が設立されます。宣教師たちが到着した当時、この地域には約5,000人のトングバ族が暮らしていました。

兵士や労働者を従えたスペイン人宣教師たちは、必要とあらば武力をも辞さず、先住民への布教を推し進めました。1771年から1834年の間に、地域全体へと拡大したこの伝道所では25,000件を超える洗礼が執り行われたとされています。その結果、トングバ族はカトリック伝道所にちなんで「ガブリエレーニョ(Gabrieleño)」「ガブリエリーノ(Gabrielino)」と呼ばれるようになりました。同じ頃、ヨーロッパ人が持ち込んだ病気が猛威を振るっており、1806年には麻疹の流行により、サンフランシスコ・ベイエリアの先住民人口の4分の1が命を落としています。

文化的同化への拒絶

1781年、スペインはこの地域における支配を強固なものとするため、メキシコ北部から募集した44人の入植者を送り込み、後にロサンゼルスとなる町を建設しました。当時は「ポルチウンキュラの我らが聖母女王天使の町(El Pueblo de Nuestra Señora Reina de los Ángeles de la Porciúncula)」と称されていました。

21歳となっていたトイプリナは、複数の言語を操り、近隣の村々との交渉にも携わる、尊敬を集める呪医であり精神的指導者へと成長していました。多くの先住民の指導者たちと同じく、彼女は自らの民族が受けた強制的な文化的同化や入植者による暴力に深く憤っていました。トイプリナにとってスペイン人宣教師たちは、自分たちの生活様式や伝統、さらには自身の地位と権威に対する脅威そのものだったのです。

反乱

1785年、トイプリナは6つの村を説得し、サン・ガブリエル・アークエンジェル伝道所に対する反乱へと動きます。その目的は、すべてのスペイン人入植者を排除することでした。伝道所内の改宗者(ネオファイト)であるニコラス・ホセ(Nicolás José)も、先住民族文化の破壊に衝撃を受け、協力を申し出ました。こうしてトイプリナは10月に攻撃を指揮します。ところが、計画は兵士の聞き耳によって察知され、宣教師たちへ密告されてしまいました。反乱の夜、トイプリナは他の首謀者3名とともに、多くの戦士と共に捕縛されたのです。

尋問の場で、トイプリナは自らの行動と動機を隠すことなく明言しました。「私は神父たちと、伝道所に住むすべての人間に怒っている。私の生まれ故郷の土地に住み、我々の祖先の地に足を踏み入れ、部族の領土を奪い取ったのだから」

裁判の結果、ニコラス・ホセとトイプリナは、攻撃の主犯格として有罪判決を下されました。

トイプリナ――スペイン植民地化に立ち向かったトングバ族の女性呪医

受洗と晩年

裁判の最中、トイプリナは洗礼を受けたいと表明します。これは、裁判による厳しい処罰を免れるためだったと考えられています。反乱から2年後の1787年、彼女はミゲル・サンチェス神父によって洗礼を受け、「レジーナ・ホセファ(Regina Josepha)」という名を与えられました。洗礼後、トイプリナはサン・ガブリエル・アークエンジェル伝道所から最も遠い場所にあるサン・カルロス・ボロメオ・デ・カルメル伝道所へと移送されます。

その2年後、トイプリナはマヌエル・モンテロ(Mañuel Montero)というスペイン人兵士と結婚し、セサリオ、フアナ・デ・ディオス、マリア・クレメンティーナの3人の子どもをもうけました。1799年5月、彼女は39歳でこの世を去りました。