
ボナパルトとの出会い
オーギュスト・ド・マルモンは、1793年のトゥーロン攻囲戦において、ジュノーとともに若きボナパルトの二人目の副官を務めた人物である。この縁が彼の人生を大きく方向づけることになった。以降、エジプト遠征をはじめとする東方遠征やイタリア戦役でナポレオンに随行し、1799年のブリュメール18日のクーデターにも参加。皇帝誕生の立役者の一人となったのである。
栄光の時代
1800年のマレンゴの戦いでは頭角を現し、1809年のワグラムの戦いでは予備軍の指揮を担当するなど、着実に軍功を積み上げた。同年には帝国元帥に列せられる。その後、半島戦争ではポルトガル方面の指揮官として、宿敵ウェリントン公と直接対峙することとなった。
1814年:パリ防衛と「裏切り」
1814年のフランス戦役ではパリ防衛の任を担ったが、圧倒的な連合軍の攻勢を前に、外務大臣コランクールとともにロシア皇帝アレクサンドル1世との間で最初の降伏交渉を行った。これにより連合軍はパリへの入城を果たすことになる。
しかし、皇帝は「連合軍にパリを通過させた」ことを最後まで許さなかった。皮肉にも、フランス語で「愚痴をこぼす」を意味する動詞「マルモンテール(marmonter)」は、この出来事と結びつけられ、「裏切り」の代名詞として語られるようになったのである。
王政復古と晩年
ナポレオンの退位後、マルモンはブルボン家に忠誠を誓い、ルイ18世に帰順した。1830年の七月革命ではシャルル10世と運命を共にし、最終的に国王とともに国外へ亡命。晩年はウィーンに暮らし、1852年に同地でその波乱に満ちた生涯を閉じた。