
フェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan、1480年〜1521年)は、ポルトガル出身の航海者・探検家です。スペイン王カルロス1世に仕え、人類史上初となる世界周航の遠征隊を率いたことで知られています。彼自身は旅の途中で命を落としましたが、その遠征隊は歴史に名を刻む偉業を成し遂げました。
幼少期と宮廷での日々
マゼランはポルトガルのサブローザ市長の息子として生まれた三兄弟の一人でした。10歳で孤児になると、2年後にポルトガル宮廷へ引き取られ、国王ジョアン2世の小姓として仕えることになります。1505年、彼は初めて海へ出ました。インドへの遠征に参加した際には、航路沿いにポルトガルの拠点を築く計画に関わったとされています。
ポルトガルを離れ、スペインへ
その後の数年間、マゼランは次代の王マヌエル1世に仕えて経験を積みましたが、必ずしも順風満帆ではありませんでした。新しい王は先代の側近たちに冷淡で、1514年にはマゼランに対し、今後は王室に仕えないよう告げたといいます。こうして故国を去ることになった航海者は、王の許可を得てスペインへ渡り、若き国王カルロス1世に謁見。彼はその臣下となり、やがて一定の影響力を持つまでになったのです。
香料諸島を目指した大遠征
カルロス1世は、香辛料貿易による莫大な収益を見込んで、スパイス諸島(モルッカ諸島)への新航路を発見する遠征に資金を提供しました。マゼランは5隻の船を購入し、1519年9月20日に艦隊を出航させます。この遠征を阻止しようとしたポルトガル王は艦隊の追撃を命じましたが、マゼランは追跡を巧みにかわして切り抜けました。
南米大陸の迂回と最期
艦隊は南米に到達し、大陸を迂回する航路(後に「マゼラン海峡」と呼ばれる水路)を発見します。しかしその後の航海では、船長たちの反乱や先住民との衝突といった困難にも次々と直面しました。そして1521年、フィリピンでの先住民との戦闘のさなか、マゼランはこの地で命を落とします。
しかし遠征はそこで終わりませんでした。残された乗員たちは航海を続け、ついに人類史上初めて地球を一周することに成功したのです。マゼラン個人の夢は途中で絶たれましたが、その遠征が成し遂げた偉業は、世界史に永遠に刻まれることとなりました。