
はじめに
オリヴィエ・ド・クリッソン(Olivier de Clisson、1336年頃〜1407年)は、一般にはあまり名前が知られていないものの、百年戦争において欠かせない存在だったフランスの大貴族である。ブルターニュ地方の出身で、激動の継承戦争を生き抜き、やがてフランス王国の最高位の軍人へと昇りつめた波乱に満ちた生涯の持ち主だった。
ブルターニュ継承戦争とアウレーの戦い
クリッソンは、ブルターニュ公位をめぐって争われた継承戦争に若くして身を投じた。フランス王が支援するブロワ家のシャルル・ド・ブロワ側に属して戦い、1364年のアウレーの戦いではイングランドの援軍を得たモンフォール派と対峙したが、この決戦で敗北を喫し、一時は捕虜となる苦渋も経験している。
デュ・ゲクランとの同盟とフランスへの仕官
戦後、彼はイングランドと結んだ宗主であるブルターニュ公との関係を断ち切り、フランス王国に忠誠を誓う道を選んだ。同じブルターニュ出身の伝説的な名将ベルトラン・デュ・ゲクランと手を組み、以降はフランス軍の一員として各地の戦場で共に戦った。
「屠殺者(ル・ブーシェ)」の異名
卓越した軍人であった一方、その戦闘ぶりは極めて苛烈なことで知られ、あまりの残酷さから「屠殺者(Le Boucher)」という恐るべきあだ名で呼ばれるようになった。この異名は、敵味方双方に強烈な印象を与え続けたという。
王国統率長官(コネタブル)への就任
シャルル6世の治世になると、クリッソンはフランス王国統率長官(コネタブル・ド・フランス)に任じられた。これは王国の軍事を統括する最高職であり、彼は政務に復帰した顧問グループ「マルムゼット」の一員として、王国政治の中核にも加わった。
イングランド侵攻という壮大な構想
また一時期、クリッソンは大規模な艦隊と巨大な木造の攻城設備を動員してイングランド本土へ侵攻するという野心的な計画を主導したことでも知られている。実現こそしなかったものの、この構想は当時のフランスがイングランドに対して攻勢に出ようとしていたことを示す象徴的な事業であった。
まとめ
ブルターニュの辺境から出発し、敗北と裏切りを経ながらもフランス軍の頂点に立ったオリヴィエ・ド・クリッソン。冷酷さゆえの異名を持ちながらも、百年戦争という大時代を代表する武将の一人として、歴史に確かな足跡を残している。