第二次世界大戦における「転換点(ターニングポイント)」といえば、一般的にはスターリングラードの戦いやミッドウェー海戦、ノルマンディー上陸作戦(Dデイ)など、戦局を左右した軍事的な決戦を指すことが多いです。では、ヨーロッパのユダヤ人に対する大量虐殺であるホロコーストは、戦争の帰結に影響を与えた「転換点」だったのでしょうか。
ホロコーストと戦局の関係
歴史学の観点から見ると、ホロコーストそのものが戦争の軍事的な結果に直接影響を及ぼしたという証拠は存在しません。ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺は、主に占領地域で組織的に進められたものであり、前線での戦闘の行方を左右する要素ではなかったためです。
また、ホロコーストの全貌が国際社会に広く知られるようになったのは、戦争がすでに終盤に差し掛かっていた時期でした。連合国側はそれ以前に、東部戦線におけるスターリングラード攻防戦(1942年〜1943年)での決定的な勝利や、1944年6月のノルマンディー上陸作戦の成功など、重要な足場をすでに築いていました。
真の転換点はどこだったのか
多くの歴史家は、第二次世界大戦の欧州戦線における転換点としてスターリングラードの戦いを挙げます。この戦いでドイツ国防軍は壊滅的な損害を受け、以降は守勢に回ることとなりました。太平洋戦線ではミッドウェー海戦(1942年)が、北アフリカではエル・アラメインの戦いが、それぞれ戦局の分水嶺となったとされています。
ホロコーストの歴史的意義
戦争の帰結への影響という意味では転換点とは言えないものの、ホロコーストは人類史上最も重大な悲劇の一つであり、戦後の人権概念や国際法、ジェノサイド条約の成立などに深い影響を与えました。軍事的な転換点ではなくとも、20世紀の歴史における倫理的・文明的な転換点であったことは間違いありません。