結論からお伝えすると、ノルウェー王ハロルド・ハードラーダ(ハーラル3世)は、スタンフォード橋の戦いで勝利していません。むしろその逆で、彼はイングランド王ハロルド・ゴドウィンソン率いるイングランド軍に敗れ、この戦いのさなかに命を落としたのです。
「ハードラーダがスタンフォード橋で勝った後に何が起きたのか」という問いを目にすることがありますが、史実においてこの戦いは彼にとって最初で最期の決戦となりました。以下、その経緯を詳しく見ていきましょう。
スタンフォード橋の戦いとは?
スタンフォード橋の戦いは、1066年9月25日、イングランド北部ヨークシャーのスタンフォード・ブリッジで行われた戦闘です。ノルウェー王ハロルド・ハードラーダと、彼に味方した先王の弟トスティグ・ゴドウィンソンの連合軍が、イングランド王ハロルド・ゴドウィンソンの軍と衝突しました。
ハードラーダは「苛烈なる支配者」の異名を持つ名高い武将で、ビザンツ帝国での傭兵時代やノルウェー統治によって大きな名声を築いてきた人物です。イングランド王位を狙って約300隻の艦隊を率いて侵攻し、9月20日のフルフォードの戦いではノーサンブリア勢を打ち破るなど、当初は優勢に立っていました。
ハードラーダの敗北と最期
ところが、イングランド王ハロルド・ゴドウィンソンは、南岸でノルマンディー公ギヨーム(後の征服王ウィリアム)の上陸に備えていた自軍を率い、驚異的な速度で北へ強行軍しました。不意を突かれたノルウェー軍は、十分な武装も整えないまま戦いに臨むことになります。
戦いは激烈を極め、伝説によればスタンフォード橋の上では、巨大な戦斧を振るう無名のイングランド兵がただ一人でノルウェー軍の渡河を食い止めたとも語られています。最終的にノルウェー軍は総崩れとなり、ハードラーダ自身は喉に矢を受けて戦死。同盟者のトスティグもまた討ち取られました。
生き残ったノルウェー軍は、ハードラーダの息子オーラヴ(後のオーラヴ3世静穏王)と共に撤退することを許されましたが、来た時には約300隻あった船も、帰還にはわずか24隻ほどしか必要なかったと伝えられています。
この戦いの歴史的意義
スタンフォード橋の戦いは、一般にヴァイキング時代の終焉を象徴する出来事とされています。スカンジナビア勢によるイングランドへの大規模な侵略はこれが最後となり、以降のイングランドの歴史はノルマン人による支配へと大きく舵を切ることになります。
皮肉なことに、勝利したイングランド王ハロルドにも安息の時はありませんでした。疲弊した軍を率いて直ちに南へ引き返さねばならず、同年10月14日のヘイスティングスの戦いでノルマンディー公ウィリアムに敗れて戦死します。こうして1066年は、イングランド史上最大の転換点となる年となったのです。
まとめ
- ハロルド・ハードラーダはスタンフォード橋の戦いで勝利しておらず、イングランド王ハロルド・ゴドウィンソンに敗れた。
- 彼は戦闘中に戦死し、同盟者のトスティグ・ゴドウィンソンも討ち取られた。
- この戦いはヴァイキング時代の終わりを告げる出来事とされている。
- 勝者ハロルド・ゴドウィンソンも数週間後のヘイスティングスの戦いで敗死し、ノルマン・コンクエストが幕を開けた。