「規制派(レギュレーター)」と「穏健派(モデレーター)」の戦争は、特定の一つの都市で行われたわけではありません。この紛争は1768年から1771年にかけて、北米植民地ノースカロライナで発生した内乱であり、当時の植民地社会を二分した二つの派閥の対立が背景にありました。
戦闘の中心となったのは、大西洋岸から離れた内陸部(バックカントリー)と呼ばれる農村地帯で、現在のオレンジ郡、チャタム郡、アラマンス郡にあたる地域一帯が主な舞台となりました。
なぜ「都市」ではなく内陸部だったのか
この紛争は、城壁や市街地をめぐる攻防ではなく、広大な農村地帯を舞台とした反乱でした。内陸部の農民たちは、重い税負担や役人による不正・腐敗への不満を募らせ、自らを「レギュレーター(規制者・改革者)」と名乗って抵抗運動を組織していきました。そのため、戦火は自然と彼らの生活圏である内陸部の郡や村落に及ぶことになったのです。
決定的な戦い:アラマンスの戦い
紛争の終盤にあたる1771年5月16日には、現在のアラマンス郡付近で「アラマンスの戦い(Battle of Alamance)」が勃発しました。ウィリアム・トライオン総督率いる植民地民兵隊がレギュレーター勢力を撃破し、この戦いをもって反乱は事実上の終息へと向かいました。今日、この戦場跡はアラマンス・バトルグラウンド州立史跡として保存されています。
注意:同名の紛争との混同にご用心
なお、「レギュレーター・モデレーター戦争」という名称そのものは、19世紀半ば(1839〜1844年頃)にテキサス州東部ハリソン郡で起きた私闘を指して使われることもあります。本記事で取り上げているのは、1768〜1771年にノースカロライナで起こった紛争である点にご留意ください。