ヤルタ会談とは
1945年2月、クリミア半島のヤルタで開催された会談には、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長という「ビッグスリー」が集結し、第二次世界大戦後の世界秩序について協議しました。この会談は、その後の世界史の流れをいくつもの面で先取りするものであり、歴史における重大な転換点となりました。
1. 冷戦の基盤を作った
ヤルタ会談は、ヨーロッパを東西の勢力圏に事実上分割する枠組みを作りました。東ヨーロッパはソ連の影響下に置かれ、西ヨーロッパはアメリカやイギリスなどの西側諸国の支配圏に入りました。この東西分裂こそが、その後数十年にわたって米ソ両大国が対立する「冷戦」の土台となったのです。
2. 国際連合を弱体化させた
会談では国際連合の創設が合意されましたが、同時にソ連に対して安全保障理事会における拒否権(ヴェト)が認められました。この拒否権により、米ソが対立する重要な国際問題において国連が機能不全に陥る場面が多く生じ、国際紛争の解決機関としての役割が制約されることになりました。
3. 朝鮮戦争の遠因となった
ヤルタ会談では、当時日本の植民地支配下にあった朝鮮半島の将来については明確な取り決めがなされませんでした。終戦後、朝鮮半島は北緯38度線を境に南北に分割され、北側はソ連が、南側はアメリカが占領統治を行いました。この人為的な分断がやがて1950年の朝鮮戦争へとつながり、今日まで続く朝鮮半島の分断の原因となりました。
4. アジア・アフリカにおけるナショナリズムの台頭を促した
ヤルタ会談の議論は、ヨーロッパ列強の植民地の処遇よりも欧州の再編を優先するものであり、西側諸国がアジア・アフリカの非植民地化に本格的に取り組む姿勢を見せないことを印象付けました。この結果、両地域では民族自決を求めるナショナリズム運動が急速に高まり、戦後、インドやインドネシアをはじめとする多くの国々がヨーロッパの支配から独立を勝ち取っていきました。
まとめ
ヤルタ会談は、単なる戦時中の首脳外交にとどまらず、戦後世界の構造を決定づけた歴史の分水嶺でした。冷戦の火種を残し、国連の限界を内包しながらも新たな国際秩序を創設し、さらにアジア・アフリカの脱植民地化の波を加速させるなど、20世紀後半の世界史の方向性を大きく左右したのです。