歴史クイズ

第一艦隊はどのようにして生まれたのか?その背景と歴史をわかりやすく解説

第一艦隊とは何か?

第一艦隊(ファースト・フリート)は、1787年にイギリスからオーストラリアへ向けて出航したイギリスの船団です。囚人759名を含む1,000人以上の人々を乗せ、オーストラリアに流刑植民地を設立することを目的として派遣されました。

船団の構成と指揮官

船団の指揮を執ったのは、新しい入植地の総督に任命されたアーサー・フィリップ船長です。船団は合計11隻で構成され、軍艦2隻(HMS シリウス号、HMS サプライ号)、輸送船6隻(アレキサンダー号、シャーロット号、フィッシュバーン号、フレンドシップ号、レディ・ペンハーン号、スカボロー号)、そして補給船3隻(ボローデール号、ゴールデン・グローブ号、プリンス・オブ・ウェールズ号)が含まれていました。

航海の経緯

第一艦隊は1787年5月13日にポーツマスを出港し、約8か月に及ぶ航海を経て、1788年1月26日にオーストラリアのボタニー湾へ到着しました。しかし、フィリップは真水の不足や農耕に適した土地が乏しいことから、ボタニー湾は入植地として不適切であると判断します。

そこで1月28日、フィリップは船団をさらに北へ進め、ポート・ジャクソン(現在のシドニー湾)に入り、シドニー・コーブに入植地を建設しました。この地は深く波の穏やかな天然の良港を備え、安定した真水の供給と肥沃な土壌があるため、入植地としてはるかに優れた場所でした。

第一艦隊派遣の理由

第一艦隊の派遣には、いくつかの重要な要因が絡み合っていました。

新たな流刑地の必要性

18世紀後半、イギリスの刑務所は過剰収容状態にあり、政府は囚人の移送先となる新しい場所を模索していました。従来の流刑先であった北米はアメリカ独立戦争により利用できなくなっていたため、孤立性と厳しい気候を理由にオーストラリアが流刑地として選ばれたのです。

太平洋探検への関心

第一艦隊は、太平洋を探索し新たな領土を獲得しようとする、より大規模なイギリスの海洋戦略の一環でもありました。

オーストラリアの経済的潜在力

イギリス政府は、オーストラリアが木材、石炭、羊毛などの貴重な天然資源の供給源になりうると期待していました。

オーストラリア史における意義

第一艦隊の到着は、オーストラリア大陸におけるイギリスによる植民地化の始まりを示す、歴史上きわめて重要な出来事です。シドニー・コーブの小さな入植地はやがて発展を遂げ、現在ではオーストラリア最大の都市であるシドニーへと成長しました。なお、第一艦隊の到着日である1月26日は「オーストラリア・デー」として国民の祝日に定められています。