1619年に設立されたバージェス院は、北米植民地初の選挙による立法府として歴史に名を刻んでいます。しかし、歴史的な意義の大きさとは裏腹に、当時のジェームスタウン植民地にとって「最良の政府」であったかと言えば、答えは否です。本記事では、ジェームスタウンの統治形態の変遷を振り返りながら、バージェス院が抱えていた問題点を詳しく解説します。
ジェームスタウン植民地における3つの統治形態
ジェームスタウン植民地(1607年設立)は、設立から安定するまでの間、大きく分けて3つの異なる統治形態を経験しました。
1. バージニア会社による統治
最初の統治主体は、植民地を設立したバージニア会社でした。同社は利益の獲得を目的として植民地を運営する合資会社(ジョイント・ストック・カンパニー)でしたが、期待ほどの収益を上げられず、経営難に陥ります。金銭的な負担と責任を回避したい国王によって会社の特許状は取り上げられ、会社は最終的に解散することとなりました。
2. 戒厳令による統治
次に登場したのが、軍隊が全権を掌握する戒厳令による統治です。特にトマス・デイル総督の時代には厳格な軍事法規が敷かれ、入植者の生活は細部まで管理されました。この統治形態は、飢饉や先住民族との対立など、生き残りすら危ぶまれた植民地創成期の混乱期において採用されたものです。
3. バージェス院の設立
3番目の統治形態として誕生したのがバージェス院です。これは入植者たちによって選出された代表議会であり、法律の制定と課税の権限が与えられました。住民の代表が政治に参加するという点で、後のアメリカ民主主義の原型となった重要な機関です。
バージェス院が「最良」と言えなかった2つの理由
民主性の欠如
バージェス院がジェームスタウン植民地にとって最良の政府とは言えない最大の理由は、その民主性の低さにあります。実際に投票権を持っていたのは、一定の財産を所有する白人男性のみでした。女性、貧しい入植者、契約奉公人、そして奴隷とされた人々には一切の政治的発言権がなく、植民地人口の大多数が政治プロセスから排除されていたのです。
効果性の欠如
さらに、バージェス院は必ずしも効果的に機能したわけではありません。議員たちの多くは、植民地全体の利益よりも自身や支持者の個人的な利益を優先しがちでした。その結果、汚職や政策運営の不備が頻発し、植民地全体の福祉向上につながる意思決定が十分に行われない状況が生まれました。
まとめ
総じて言えば、バージェス院はジェームスタウン植民地にとって最良の政府ではありませんでした。確かに、住民が代表を選出して政治に参加できるという画期的な仕組みではありましたが、投票権が一部の富裕な白人男性に限定されるなど民主性に乏しく、また議員の私利私欲による腐敗や非効率といった実効性の問題も抱えていたのです。それでもなお、バージェス院は代議制政治の萌芽として、後のアメリカ合衆国の政治体制に大きな影響を与えたことは否定できません。