1945年8月、第二次世界大戦の終結間近、アメリカ軍は日本の広島と長崎に原子爆弾を投下しました。この二つの原爆投下による正確な死者数の把握は困難ですが、歴史学者や研究者たちによってさまざまな推計が行われています。ここでは、それぞれの都市における犠牲者数と被害の概況を整理してご紹介します。
広島への原爆投下(1945年8月6日)
広島市に投下された原子爆弾による直接的な死亡者数は、推計でおよそ9万人から16万6000人とされています。多くの歴史学者は、総死者数をおよそ10万人としています。死因には、爆発時の爆風や熱線のほか、その後に現れた放射線による急性障害などが含まれます。
長崎への原爆投下(1945年8月9日)
長崎市に対する原爆投下の犠牲者数には推計の幅がありますが、最も一般的に引用されるのはおよそ7万4000人という数字です。即死したとみられる人は4万人から7万5000人と推定されており、さらに同年12月末までに約8000人が後遺症などにより死亡しました。犠牲者の大多数は一般市民でした。
長崎にもたらされた被害の規模
原爆は爆発直後に火災旋風(ファイアストーム)を引き起こし、広範囲にわたる市街地を焼き尽くしました。爆心地周辺の約3.1平方キロメートルに及ぶ地域が破壊され、その被害は半径およそ3.2キロメートル(2マイル)の範囲にまで達したとされています。
犠牲者数の推計が分かれる理由
当時の長崎や広島は人口が移動していたこと、記録が戦火で失われていたこと、そして放射線障害による死亡が数か月、さらには数年にわたって続いたことなどから、犠牲者数を正確に確定することは極めて困難です。こうした事情から、出典によって数字に幅が生じています。両都市では現在も、犠牲者の冥福を祈り、核兵器のない平和な世界を求める追悼行事が続けられています。