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1632年のメリーランドはどんなところだった?植民地誕生の年をわかりやすく解説

1632年のメリーランド――歴史の出発点となった年

1632年は、メリーランドの歴史における出発点となる非常に重要な年です。この年の6月30日、イングランド国王チャールズ1世は、第2代ボルチモア男爵セシリウス・カルヴァートに対し、北米大西洋岸一帯の領有を認める勅許状を発布しました。父である初代男爵ジョージ・カルヴァートが生涯をかけて実現を目指した事業を、息子が引き継ぐ形となりました。

植民地の名称は、王妃ヘンリエッタ・マリアにちなんで「メリーランド」と名付けられたと伝えられています。

1632年当時のメリーランドの姿

  • 人口: この時点でヨーロッパからの定住者はまだゼロ。先住民だけが暮らす土地でした
  • 首都: まだ存在せず。1634年に建設されたセント・メアリーズ・シティが、後に植民地の中心となります
  • 統治: 名目上の所有者はセシリウス・カルヴァート。実際の統治は弟のレナード・カルヴァートが初代総督として担いました
  • 主な産業: タバコ栽培、毛皮交易、造船が計画され、後に植民地経済の柱となっていきます

この時期の主な出来事

  • 1632年6月30日: チャールズ1世がメリーランド勅許状を発布
  • 1633年頃: ケント島をめぐり、バージニアの貿易商ウィリアム・クレイボーンとの対立が表面化
  • 1634年: アーク号とダブ号の2隻が到着し、およそ200名の入植者がセント・メアリーズ・シティを建設

その後のメリーランドを左右した二つの要素

誕生直後のメリーランドは、小規模で苦労の絶えない辺境植民地でした。しかし、その後の発展の方向性を決定づけたのが、次の二つの出来事です。

ひとつは1649年に制定された信仰自由法(メリーランド寛容法)です。すべてのキリスト教徒に宗教的自由を認めた、当時としては極めて先進的な法律であり、カトリック教徒が多く住むメリーランドの性格を象徴するものでした。

もうひとつは17世紀半ば以降のアフリカ人奴隷の導入です。安価な労働力はタバコ・プランテーションの拡大を支える一方で、植民地社会に深刻な格差と矛盾をもたらしました。また、入植者の増加に伴い、先住民族との緊張や武力衝突も繰り返されることになります。

こうして見ると、1632年のメリーランドはまだ「紙の上の植民地」にすぎませんでした。しかし、勅許状という種が蒔かれたまさにこの年こそ、後の豊かな発展と複雑な歴史のすべてが始まった年だといえるでしょう。