ネロへの反乱と皇帝擁立
西暦68年4月、ローマ皇帝ネロに対する大規模な反乱が勃発しました。ガリア・ルグドゥネンシス属州総督ガイウス・ユリウス・ウィンデクスが反乱の先頭に立ち、当時ヒスパニア・タッラコネンシス属州総督を務めていたセルウィウス・スルピキウス・ガルバに対し、帝位への就任を呼びかけました。
これを受けてガルバは配下の軍団によって皇帝と宣言され、ネロ打倒の旗印として立ち上がることになります。
支持の拡大と正当性の確保
当初、ガルバの帝位が認められていたのは、ヒスパニアとガリア・アクィタニアの一部地域にとどまっていました。しかし、アフリカ属州総督ルキウス・クロディウス・マケルがガルバ側に加担したことで、反乱の波は帝国全土へと広がり、ガルバの即位には決定的な正当性が与えられることになりました。
ネロの自殺と元老院による承認
同年6月、追い詰められたネロは自ら命を絶ちます。そして6月9日、ローマ元老院は正式にガルバを皇帝として承認しました。こうしてガルバは、ユリウス=クラウディウス朝に終止符を打つ新皇帝として帝位に就き、ローマ史上初の「四皇帝の年」の幕開けとなる混乱の時代が始まったのです。