「テキサス州はアメリカ合衆国に併合されるべきか?」
この問いかけは、テキサス共和国が住民投票で国民に突きつけた、歴史的な選択でした。投票の結果、賛成4,134票対反対407票という圧倒的な差で併合が承認され、テキサスは1845年12月29日、アメリカ合衆国28番目の州として連邦に加盟することになったのです。
なぜ「テキサス問題」は論争を呼んだのか
当時の併合は決して順風満帆なものではありませんでした。最大の懸念材料は、テキサスの領有権を主張していたメキシコとの戦争に発展する危険性です。実際、メキシコ政府はテキサス独立を認めておらず、併合は両国関係を一気に悪化させる火種となりました。
さらに国内でも、奴隷制をめぐる対立が議論を複雑にしました。テキサスでは奴隷制が認められていた一方、当時のアメリカは自由州と奴隷州の均衡が政治的な緊張の源泉となっており、新たな奴隷州の加入は南北間の力関係を揺るがしかねない問題だったのです。
米墨戦争への伏線
こうした経緯をたどった「テキサス問題」は、やがて1846年に勃発する米墨戦争(メキシコ・アメリカ戦争)の引き金の一つとなりました。この戦争の結果、アメリカは南西部の広大な領土を獲得し、今日の国土の姿が形づくられていくことになります。
一見単純な「州としての加盟」という問いの裏には、領土問題、奴隷制、そして大陸規模の戦争へとつながる壮大な歴史の流れが隠されていたのです。