考古学的発見

「絶叫ミイラ」が初公開!ラムセス3世の死をめぐる3000年前の陰謀

古代エジプト史に残る最も有名な陰謀事件――ファラオ・ラムセス3世の死に関わった「ハーレム陰謀事件」の中心人物とされる「絶叫ミイラ」が、エジプト・カイロ、タハリール広場のエジプト考古学博物館で初めて一般公開されました。

「絶叫ミイラ」が初公開!ラムセス3世の死をめぐる3000年前の陰謀

「絶叫ミイラ」、通称「無名の男E(Unknown E)」。第20王朝期のペンタウル王子のミイラと推定される(エジプト)。

3000年間、叫び声を押し殺すような顔

口を大きく歪ませ、耐え難い苦痛の痕跡を刻んだこの謎めいたミイラは、「無名の男E」あるいは「絶叫ミイラ」と呼ばれています。カイロ博物館の展示ケースに納められ、一般の目に触れるのは今回が初めてです。まるで恐ろしい叫び声を今にも上げそうなその表情は、3000年にわたり厚い謎のベールに包まれてきました(英オンライン紙International Business Times、2018年2月12日付より)。

発見は1886年、ナイルのほとりで

発見の経緯は1886年6月にさかのぼります。当時、エジプト古物局の長官を務めていたフランス人学者ギャストン・マスペロは、1881年にナイル川左岸・王家の谷で見つかった隠し墓から出土した複数の王族ミイラの包帯を解いていました。そこで彼が目にしたのは、名前のない棺に収められた18~20歳ほどの若い男性のミイラ。足首や拳には縛られた痕跡が残り、羊皮紙のような顔は、恐ろしい叫び声に歪んでいるように見えたのです。

さらに研究者を困惑させたのが、ミイラが羊の毛皮に覆われていた点でした。古代エジプトにおいて、羊の皮は儀式的に「不浄」なものとされていたのです。

「絶叫ミイラ」が初公開!ラムセス3世の死をめぐる3000年前の陰謀
1886年、カイロのブラーク博物館でミイラの包帯を解くギャストン・マスペロ教授。© Leemage/AFP

正体はラムセス3世の王子ペンタウル

この無名の若者は、一体何のために罰せられたのか? どれほどの大罪を犯せば、これほど屈辱的な末路を迎えねばならなかったのか? 毒殺説や、生き埋めにされたという説まで現れました。ほどなく研究者たちは、この乾燥した遺体を、第20王朝のファラオラムセス3世(紀元前1182~1151年頃)と側妃ティイの間に生まれた息子、ペンタウル王子のものである可能性が高いと特定しました。この血縁関係は、2010年にイタリア・ボルツァーノ欧州アカデミーのアルベルト・ツィンクらが実施した遺伝子解析によって裏付けられています。

古代文書が語る「ハーレム陰謀事件」

ミイラの身元を確定させるため、研究者たちはラムセス3世の晩年に関する古代文書、すなわち「トリノ裁判パピルス」、リー・パピルス、ロリン・パピルスなどを参照しました。いずれも有名な「ハーレム陰謀事件」にまつわる記録であり、「重大なる忌むべき行為」「犯された悪事」について述べています。

それは何だったのか。答えは極めて単純でありながら劇的な、王位継承をめぐる争いでした。文書によれば、ティイは自らの息子ペンタウルを玉座に就けようとしましたが、ラムセス3世が後継者に指名していたのは、正妃イシス・タヘムジェルトとの間に生まれた第五子で、王立書記兼将軍でもあったラムセス4世だったのです。

「絶叫ミイラ」が初公開!ラムセス3世の死をめぐる3000年前の陰謀
メディネト・ハブ神殿に描かれたファラオ・ラムセス3世(第20王朝)。© Antoine Lorgnier/AFP

後宮で企てられた陰謀と、その結末

陰謀が王家の後宮(ハーレム)内で企てられたことから、この事件はこう呼ばれるようになりました。ティイは将軍、書記、後宮監察官、さらには「後宮の門番の六人の妻」――衛兵たちの妻――といった高位の人物を次々と自分の陣営に引き込み、外部の反乱勢力との連携まで図っていたといいます。

しかし計画は失敗に終わりました。ファラオの暗殺自体は成功したかに見えましたが、2012年にラムセス3世のミイラに対して行われた分析および断層撮影検査により、喉に致命傷が確認され、実際に殺害されたことが明らかになったのです。だが陰謀者たちは発覚・逮捕され、委員会には事件を裁く全権限が与えられました。反逆者たちには恐るべき刑罰が下り、中には法廷の前で自ら命を絶つことを命じられた者もいました。そして、ペンタウル王子にも死刑判決が下されたのです。

矛盾する二つの態度が示すもの

「無名の男E」の遺体を幾度も調査した経験を持つ、ニューヨーク州ロングアイランド大学の考古学者ボブ・ブライアー博士は、IBT紙の取材に対しこう語っています。「この遺体には、二つの矛盾した態度が見て取れる。一方では遺体を消し去ろうとする意志が、他方では保存への配慮が存在しているのだ」

来世への望みを断つための不吉な羊の毛皮で覆われながらも、3000年前、誰かが王子を王室の一員として留めておくよう配慮していた――この対照的な扱いこそが、事件の複雑さを物語っています。

今回カイロ博物館で公開されるまで、このミイラは収蔵庫に保管され、人目から遠ざけられてきました。公開期間については現在のところ明らかにされていません。


■ 四度にわたる裁判

「ハーレム陰謀事件」をめぐっては複数回の裁判が行われました。第一回の裁判では、ラムセス3世の妃の一人でペンタウルの母でもあるティイに死刑判決が下され、加担した28人も同様の運命を辿ったとみられます。第二回の裁判では、6人が法廷の前での自殺を命じられました。古代エジプト人は、地位の高い者ほど来世から復讐できると信じており、自殺を強いることでその脅威を取り除けると考えていたのです。第三回の裁判では、ペンタウル王子を含む4人に同じ刑が科されました。第四回の裁判の被告は、もはや陰謀者ではなく、収賄罪で告発された裁判官と衛兵たち。彼らは鼻と耳を切り落とされるという刑を受けました。

■ デイル・エル・バハリの隠し墓

1881年、当時エジプト古物長官を務めていたギャストン・マスペロは、三つの部屋からなる墓に集められた50体以上のファラオのミイラを発見しました。テーベ山地のデイル・エル・バハリ、神殿群の上方に掘られたこの墓所は、紀元前1069年以降、いわゆる「ラムセス時代」末期の王族ミイラを隠すために使われたものです。当時横行していた王墓の盗掘から先王たちを守ろうとしたのは、神官たちでした。ミイラたちはそこで3000年以上もの間、秘密のまま眠り続けていたのです。

さらに詳しく:『ラムセスの時代の事件とスキャンダル』(パスカル・ヴェルニュ著、Pygmalion刊、2009年)