歴史上の人物

プドゥヘパ――古代ヒッタイト帝国に君臨した伝説の女王と大祭司

紀元前13世紀、小アジアのヒッタイト王国の女王であり女神イシュタルの祭司でもあったプドゥヘパは、66年間にわたって君臨し、政治・宗教の両面で決定的な役割を果たしました。彼女は古代近東で最も影響力のある女性の一人とされています。

プドゥヘパ――古代ヒッタイト帝国に君臨した伝説の女王と大祭司

ヒッタイト帝国

プドゥヘパは紀元前13世紀の初め、キッズワトナ(小アジアの王国で、約2世紀にわたりヒッタイト帝国に組み込まれていた)の都市ラワザンティヤに生まれました。当時、ムルシリ2世に率いられたヒッタイトは小アジアを支配下に置き、古代エジプトやアッシリアといった近隣の強国と覇を競う、中東有数の王国でした。

父ベンテプシャリは、ラワザンティヤの守護女神イシュタルの大神官でした。愛と戦いの女神であるイシュタルは、この地域で最も重要な神々の一柱であり、シュメール神話の女神イナンナに相当します。イナンナには、それより10世紀前に祭司エンヘドゥアンナが讃歌を捧げていました。プドゥヘパは父の後を継ぎ、自らもイシュタルの祭司となったのです。

「広く静かな平原に、昼の光を暗くして、天頂を闇へと変える。人々は互いに怒りを向けて争いを求める。その叫びは平原を揺るがし、牧草地と荒れ地に重くのしかかる。その咆哮は嵐の神イシュクルのごとく、すべての国を揺るがす。誰ひとり、その殺戮の怒りに立ち向かうことはできない――誰がこれに匹敵しえようか」
――エンヘドゥアンナによるイナンナ讃歌「勇壮な女神」

ヒッタイトの王妃へ

プドゥヘパの時代、ヒッタイト帝国はラムセス2世治下のエジプト帝国と対立関係にあり、両大国はとりわけシリアの支配権をめぐって争っていました。対立は紀元前1274年頃、カデシュの戦いでラムセス2世の軍とムワタリ2世王の軍が激突したときに頂点に達します。戦いは明確な勝者を残さないまま終わり、やがて両王国の間に平和が戻りました。

戦いの後、プドゥヘパは、戦功を挙げたヒッタイト軍の将軍ハットゥシリ3世(女神シャウシュガの大神官でもあり、おそらく王の弟)と出会います。彼女よりかなり年上で、すでに妻と子を持っていたこの将軍に対し、女神イシュタルがプドゥヘパを妻として娶るよう命じたといわれています。まもなく彼女は第一夫人となります。

ムワタリ2世の死後、息子ウルヒ・テシュブがムルシリ3世として即位します。しかし彼は戦略家としては無能で、アッシリアに奪われた領土を失い続け、一方のハットゥシリは軍事的勝利を重ねていきました。王が叔父から領土を取り上げると、ハットゥシリは宣戦布告。軍事的成功を背景に同盟を築き、甥を倒して王位についたのです。こうしてプドゥヘパはヒッタイトの女王となりました。

強大な権力を握った女王

プドゥヘパは地域における重要な政治家となりました。夫と手を携えて統治し、国家の最重要の決定にも共に参加しています。彼女は個人印を持ち、宮廷の裁定など自身の勅令にこれを用いました。さらに外交政策においても大きな役割を果たし、とりわけラムセス2世と文通して二人の娘との婚姻交渉を行ったほか、エジプトの大王妃ネフェルタリとも親しく交流しました。

「エジプト王国の大王妃ネフェルタリはこう述べる。『私の姉妹プドゥヘパ、ヒッタイト帝国の大王妃よ。私、あなたの姉妹は健やかです。あなたの国も安らかでありますように。私の健康を気遣って手紙をくださったことを承知しております。それはあなたの兄弟であるエジプトの大王、暴風の神が、エジプト王とその兄弟であるヒッタイトの大王との間に、永遠に平和と兄弟関係を打ち立てられるゆえです。……あなたに挨拶の品をお送りします、私の姉妹よ……首のための、純金12本帯からなる首飾り……』(ネフェルタリからプドゥヘパへの手紙)

女王であり大祭司

プドゥヘパは、多くの子どもたちの婚姻を取り仕切ることで近隣諸国との同盟を築きました。なかでも娘マートホルネフェルウレはラムセス2世のもとへ嫁いでいます。夫の死後も、息子で新王トゥトハリヤ4世の母后として、政治に重要な影響力を保ち続けました。

女王であると同時に祭司でもあったプドゥヘパは、ヒッタイトの神々の体系(パンテオン)の整備に尽力し、さまざまな神への祈りを書き残しました。冥界の女王レルワニや、ヒッタイト神話の最高女神であるアリンナの太陽女神に捧げた宗教的讃歌が、今日まで伝えられています。

プドゥヘパは90歳頃にこの世を去りました。在位期間はおよそ66年に及んだとされています。

参考リンク

プドゥヘパ – Wikipedia
Puduhepa – 英語版Wikipedia
プドゥヘパ – ヒッタイトの大王妃