歴史上の人物

アルテミシア・ロミ・ジェンティレスキ――カラヴァッジョ派を代表する女性画家

アルテミシア・ロミ・ジェンティレスキ(Artemisia Lomi Gentileschi、1593年〜1653年)は、イタリア・カラヴァッジョ派の画家です。当時女性には門戸が開かれていなかった歴史画や宗教画に挑んだ最初期の女性画家のひとりであり、バロック絵画の先駆者としても知られています。類まれな才能に恵まれ、存命中からすでに大きな成功を収めていました。

※本記事には性的暴行に関する記述が含まれます。あらかじめご了承ください。

カタルシスとしての芸術

アルテミシア・ロミ・ジェンティレスキ――カラヴァッジョ派を代表する女性画家

アルテミシアは1593年7月8日、母プラデンツィア・モントーネと画家オラツィオ・ジェンティレスキの娘としてローマに生まれました。父オラツィオは、圧倒的な写実性と明暗法(キアロスクーロ)の大胆な活用によって当時の絵画に革命をもたらした巨匠、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの流れをくむ画家でした。アルテミシアは父のもとで素描と絵画の手ほどきを受け、兄弟たちよりもはるかに優れた才能を示します。その作風は、カラヴァッジョの後継者であった父オラツィオの影響を直接受けていました。

17歳のとき、娘の芸術的才能を世に知らしめたいと願う父の後押しもあって、アルテミシアは初めて署名入りの作品《スザンナと長老たち》を発表します。旧約聖書の一場面を、カラヴァッジョ風の写実的手法で描いたものでした。また彼女は、父の作品にさらに強い写実性と明暗のコントラストを加えて再解釈する試みにも取り組みました。当時、美術教育は男性のみに許されていたため、父は画家アゴスティーノ・タッシを家庭教師として雇い入れます。ところがタッシは、19歳になったばかりのアルテミシアを性的に暴行しました。タッシは被害者の名誉を守ると称して結婚を約束しますが、その約束を反故にします。そこでオラツィオは、教皇領の法廷にこの件を訴え出ました。

捜査は数か月に及び、裁判そのものが若いアルテミシアにとってさらなる試練となりました。彼女は婦人科検診を受けさせられ、さらには拷問にまでかけられます。それでもアルテミシアは告発を撤回せず、タッシは懲役1年の判決を下されますが、結局その刑に服することはありませんでした。手続きの過酷さ、自らの口で語らざるを得なかった事実の生々しさ、そして法廷の手法はアルテミシアに深い傷を残し、のちの彼女の芸術に影響を与えたと考えられています。

事件と裁判ののち、アルテミシアは聖書の場面「ユディトによるホロフェルネスの斬首」を描きます。画面を覆う激しい暴力は、復讐への渇望を昇華させたカタルシスの表現でした。ユディトのモデルには彼女自身がなり、ホロフェルネスにはタッシの面影が重ねられています。1615年には、聖なる殉教者としての自画像を制作しました。総じて彼女の芸術は、劇的な誇張、闇の大胆な活用、そして一部の場面におけるグラフィックな暴力によって特徴づけられます。

独立した画家として

裁判ののち、オラツィオは娘の社会的地位を回復させるため、画家ピエトロ・アントニオ・スティアッテージとの結婚を取り持ちました。夫婦はフィレンツェに居を構え、4人の子どもに恵まれましたが、成人したのは末娘プラデンツィアだけでした。フィレンツェでのアルテミシアは、その才能を武器に、素描アカデミー(アッカデーミア・デル・ディゼーニョ)に受け入れられた最初の女性となります。同時代の芸術家たちと交流して名声を確立し、ミケランジェロの大甥にあたるミケランジェロ・ブオナローティ・イル・ジョーヴァネの絵画室天井装飾のためのキャンバス制作など、重要な注文を次々と獲得していきました。

成功を収めながらも、アルテミシアは浪費のために常に財政難に悩まされました。1622年には夫と別れ、娘プラデンツィアを連れてローマへ戻ります。1627年には、婚外子となる次女を出産しました。自立心に富み、自らの力で生計を立てながら子どもたちを育てたアルテミシアは、娘たちを絵画の道へ導こうとしましたが、これは実りませんでした。

ローマでも成功は続きましたが、注文の数は減少傾向にありました。そこで彼女は各地を転々とし、数年間はヴェネツィアに滞在したのち、最終的にナポリに落ち着きます。ナポリでは初めて大聖堂からの注文を受け、《ベネヴェントの聖ヤヌアリウス(サン・ジェンナーロ)》や《洗礼者ヨハネの誕生》を題材とした作品を生み出しました。また、ユディト、マグダラのマリア、バトシェバといった聖書に登場する女性たちを描いた作品も多数残しています。高く評価され、その優美さが称賛された彼女の描くヒロインたちは、しばしばアルテミシア自身の容貌を宿しています。

1638年、アルテミシアはイングランド王チャールズ1世の宮廷画家となっていた父のもと、ロンドンで数年間を過ごします。父との共同で天井装飾の制作に携わりました。しかしその翌年、オラツィオは娘の腕の中で息を引き取り、アルテミシアはナポリへと帰還します。

アルテミシア・ロミ・ジェンティレスキは1653年、ナポリでこの世を去りました。豊かで力強い作品群を遺した彼女は、今日、カラヴァッジョ派を代表する重要な芸術家のひとりと見なされています。

アルテミシア・ロミ・ジェンティレスキ――カラヴァッジョ派を代表する女性画家 アルテミシア・ロミ・ジェンティレスキ――カラヴァッジョ派を代表する女性画家 アルテミシア・ロミ・ジェンティレスキ――カラヴァッジョ派を代表する女性画家