歴史上の人物

ルイ=アレクサンドル・ベルティエ(1753〜1815)― ナポレオンの右腕となった参謀総長の生涯

ルイ=アレクサンドル・ベルティエ(1753〜1815)― ナポレオンの右腕となった参謀総長の生涯

軍人であり、同時に優れた技師・地理学者でもあったルイ=アレクサンドル・ベルティエは、アメリカ独立戦争にも従軍した経験を持つフランスの将軍です。ナポレオン・ボナパルトの参謀総長として帝国の軍事機構を支えた「皇帝の右腕」でしたが、その最期は深い謎に包まれています。

アメリカ独立戦争から革命期へ

ベルティエは工兵および地理学者としての高い能力を備えており、ロシャンボー伯爵率いる遠征軍に加わってアメリカ独立戦争に参加しました。ところがフランス革命が勃発すると、王党派の疑いをかけられ一時職を追われることになります。その後、西部ヴァンデ地方で蜂起した「白軍」と呼ばれる王党派反乱軍との戦役に従軍して武功を挙げ、ようやく名誉を回復しました。

ボナパルトとの運命的な出会い

ナポレオン・ボナパルトはベルティエの才幹を見抜き、彼を側近として重用するようになります。以後、ベルティエはボナパルトにとって友人であり、何もかも打ち明けられる腹心の存在となりました。参謀総長として皇帝の意図を正確に伝達し、実行へと移す軍事組織を築き上げたその功績は絶大で、近代参謀制度の礎を築いた人物とも評されています。

武人としての勇名

ベルティエは卓越した武人でもありました。1796年のローディ橋の戦いでは先頭に立って奮戦し、1809年のヴァグラムの戦いでは乗っていた馬を撃たれながらも戦線に留まって指揮を続けるなど、数々の逸話を残しています。

謎に包まれた最期

1815年の百日天下の際、ベルティエはナポレオンへの復帰を拒み、自らの部隊の前で白色帽章――ブルボン家の象徴――を掲げるという重大な決断を下しました。同年6月、ドイツのバンベルクで窓から転落してこの世を去ります。暗殺だったのか、それとも自ら命を絶ったのか。その死因は今日に至るまで謎のままです。