歴史上の人物

エティエンヌ・シャルル・ド・ロメニー・ド・ブリエンヌ(1727 - 1794):フランス革命前夜の財務総監

エティエンヌ・シャルル・ド・ロメニー・ド・ブリエンヌ(1727 - 1794):フランス革命前夜の財務総監

ロメニー・ド・ブリエンヌとは

エティエンヌ・シャルル・ド・ロメニー・ド・ブリエンヌ(Étienne Charles de Loménie de Brienne、1727年 - 1794年)は、フランス王国末期から革命期にかけて活躍した聖職者・政治家です。旧体制(アンシアン・レジーム)の財政危機の中で改革を託されながらも失敗し、激動の時代の波に呑まれた人物として知られています。

聖職者としての経歴

1763年にトゥールーズ大司教に就任しました。在任中は有能な行政家として評価を高め、王政の中枢で重きをなすようになります。

財務総監としての挑戦と挫折

1787年、前任者のカロンヌが罷免されると、その後任として財務総監(王立財務長官)に任命されました。当時のフランスはアメリカ独立戦争による莫大な戦費で財政は破綻寸前にあり、抜本的な改革が急務となっていました。

ブリエンヌはカロンヌと同様に、特権身分にも課税する改革を推進しようとしました。しかし名士会や高等法院(パルレマン)といった特権的な諸機関の強い抵抗に遭い、改革案はことごとく頓挫します。高等法院との対立を強行策で押し切ろうとした結果、かえって「三部会の召集」を求める世論を全国に広げることとなり、自らの政治的立場を崩す結果になりました。こうして彼は財政危機を解決できないまま、1788年8月に辞任を余儀なくされました。

晩年:枢機卿就任から獄中死へ

1788年には枢機卿に叙任されています。しかしフランス革命が本格化すると、彼は1791年に聖職者民事基本法への宣誓を行い、それに伴って枢機卿の職を辞しました。

それでも革命の過激化から逃れることはできず、恐怖政治の時代に逮捕され、1794年に獄中で死去しました。旧体制の改革者として出発しながら、革命という激流の中で生涯を閉じた悲劇的な人物といえます。