歴史上の人物

ルイ3世(863年頃 – 882年):西フランク王国を守った若き王

ルイ3世(863年頃 – 882年):西フランク王国を守った若き王

ルイ3世は、西フランク王ルイ2世(吃音王)とその最初の妃アンスガルドの間に生まれた長男である。父の死後、弟カールマン2世とともに王位を継ぎ、兄弟による共同統治が始まった。父の遺領を分割した際、ルイ3世は西部の領土の一部とヌストリア地方を受け取っている。

共同統治の成立

879年、修道院長ユーグ(ロベール家の有力者)の後押しにより、ルイ3世とカールマン2世は西フランク王国の国王として正式に承認された。当時の西フランク王国は、カロリング朝の権威が揺らぎつつある中で、大貴族たちの支持が王位の安定に不可欠な時代となっていた。

ノルマン人の侵攻とサクールの戦い

この時代最大の脅威は、ノルマン人(ヴァイキング)の襲撃であった。彼らはもはや船だけでなく騎兵部隊をも擁するようになっており、内陸深くまで進出して農村を略奪し、都市の防衛線を強引に突破していった。

879年にはヘントが、翌880年にはコルトレイクが襲撃の標的となった。こうした危機の中で、ルイ3世は881年にサクール(サクール・アン・ヴィムー)の戦いでノルマン人を破り、短命ながらも輝かしい勝利を収めた。この勝利は古高ドイツ語の叙事詩「ルートヴィヒの歌(Ludwigslied)」として讃えられ、後世に伝えられている。

しかし勝利は一時的なものにとどまった。同年末にはノルマン人がアーヘン(アーヘンラ・シャペル)へ侵入し、大帝カール(シャルルマーニュ)の宮殿を徹底的に破壊して回ったのである。

早すぎる死

わずか3年余りの統治ののち、ルイ3世は882年8月5日に世を去った。嗣子のないままの死であり、王位は弟カールマン2世が単独で継承することとなった。伝えられるところによれば、彼はセント=ドニ近郊で乗馬中の事故により頭部を強打して落命したという。20歳前後という若さでの死であり、その早逝は王国の防衛にとって大きな損失となった。

系譜:ルイ2世(吃音王)〈西フランク王 879年 – 882年〉→ ルイ3世・カールマン2世