
バイエルン王としての出発
ルートヴィヒ2世(ドイツ人王)は、カロリング朝の皇帝・敬虔王ルートヴィヒと王妃イルミンガルトの三男として生まれました。817年には父帝による帝国分割計画に基づき、バイエルン王の地位を与えられます。
父帝との対立
829年、ルートヴィヒは兄のロタール1世や弟のピピン1世と結び、父帝に対して反旗を翻しました。皇帝の死後、帝位を継承したのは長兄ロタールであったため、ルートヴィヒは末弟のシャルル(後の禿頭王)と手を組み、ロタールの覇権打倒を目指すことになります。
フォントノワの戦いと帝国の分裂
841年、兄弟連合軍はフォントノワ=アン=ピュイゼーの戦いでロタール軍に勝利を収めました。翌842年には、両者は「ストラスブールの誓約」を交わして同盟を確認します。そして843年のヴェルダン条約により、フランク帝国の三分割が正式に決定し、ルートヴィヒはライン川以東の領域、すなわち後の東フランク王国を獲得しました。
西への野心と晩年
しかしルートヴィヒは、かつてのカロリング帝国の中核部や西部への関心を決して失いませんでした。アキテーヌ貴族からの支援要請を受けると、西フランク王国へ侵攻を試みるなど、禿頭王シャルルとの対立を繰り返します。最終的には、ロタリンギアを分割することで兄弟は和解しました。
876年に死去すると、その後を息子のカール3世(肥満王)が継承しました。