テオデベルト1世(Théodebert Ier、504年頃 - 548年)は、フランク王国メロヴィング朝の王であり、アウストラシア(ランス王国)を統治しました。父ティエリ1世(テウデリク1世)の後を継いだ彼は、敬虔さと高い威信を兼ね備えた君主として知られています。
南方への遠征:西ゴート族と東ゴート族との戦い
テオデベルトは父の事業を引き継ぎ、南方面では西ゴート族との戦いを積極的に展開しました。セプティマニア地方への侵攻など、西ゴート王国に強い圧力をかけています。さらに、東ゴート族に対しては539年に北イタリアへ大規模な遠征を実施し、ヴェネツィア方面からポー川流域にまで勢力を伸ばすという大きな戦果を挙げました。これにより、フランク王国の影響力はアルプスを越えて大きく拡大することになります。
東方での戦い:サクソン族との対決
東方においては、サクソン族との戦いに従事し、王国の北東部国境の防衛と安定化に努めました。このようにテオデベルトの治世は、複数の正面で同時に軍事的成功を収めた点で、メロヴィング朝の歴史の中でも特筆されます。
自らの肖像を刻んだ金貨の発行
テオデベルト1世のもうひとつの著名な業績が、独自の金貨の発行です。彼は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のソリドゥス金貨に倣い、皇帝ではなく自らの肖像と名を刻んだ金貨を鋳造させた、最初のゲルマン系君主となりました。これは当時の彼が、東ローマ皇帝にも屈しない独立した強大な権力を握っていたことを物語っています。
死と後継者テウドバルド
548年、テオデベルト1世は死去しました。王位は息子のテウドバルド(テオデバルド)が継承します。しかしテウドバルドの治世は短く、彼が555年に後継者を残さず亡くなったため、その広大な領土は最終的に叔父にあたるクロタール1世の手へと帰することになりました。