テオデベール2世とは
テオデベール2世(Théodebert II、588年頃 – 612年)は、メロヴィング朝フランク王国の分王国の一つ、アウストラシア(東部王国)を支配した王です。父キルデベルト2世の死を受けて王位を継承しましたが、即位時はまだ幼少であったため、当初は祖母ブルンヒルド(ブリュヌオー)の後見・摂政のもとで統治を行いました。
弟との同盟によるネウストリア攻撃
テオデベール2世は、ブルゴーニュを治める弟テウデリック2世と手を結び、ネウストリア(西部王国)の王クロータール2世に対して攻勢をかけました。この共同作戦は大きな成果を上げ、一時はセーヌ川からロワール川にかけての広大な領域を獲得するなど、兄弟の連携はフランク王国の覇権争いにおいて強力な力となりました。
兄弟間の対立と破滅
しかしその後、領土や権益をめぐって兄弟の関係は急速に悪化し、ついには内乱へと発展します。612年、テウデリック2世の軍はトゥールおよびトリビアック(ツュルピヒ)の戦いでテオデベール2世を打ち破り、彼は捕虜となりました。
捕らえられたテオデベール2世は祖母ブルンヒルドに引き渡されます。当時のゲルマン世界では、長い髪は王権に属することを示す神聖な象徴とされていたため、彼は剃髪によって王としての資格を剥奪され、その後処刑されました。幼い息子メロウェクもまた同じ運命を辿ったと伝えられています。
死後の影響
テオデベール2世の死により、アウストラシアは弟テウデリック2世の支配下に入りましたが、テウデリック2世自身も翌613年に病で没します。こうして内紛で疲弊したフランク王国は、ネウストリア王クロータール2世の手によって再統一されることとなりました。