ルイ13世とは
ルイ13世(1601年9月27日 – 1643年5月14日)は、ブルボン朝第2代のフランス国王です。父はアンリ4世、母はマリー・ド・メディシス。父アンリ4世が暗殺されたとき、ルイ13世はわずか9歳でした。

摂政時代から親政へ
幼少期のルイ13世は、母マリー・ド・メディシスとその寵臣コンチーニによる摂政のもとで育てられました。また、政治的な事情からオーストリア家のアンヌ(アンネ・ドートリッシュ)との結婚を強いられましたが、なかなか子宝に恵まれず、王位継承をめぐる思惑が絶えませんでした。
1617年、王の顧問官であるリューヌ公爵の助言を受けたルイ13世は、コンチーニを暗殺させ、母后を追放してついに親政を開始します。
リシュリューとの協働と王権の強化
健康に恵まれなかったルイ13世は、統治の技術よりも戦争の技術を好んだといわれます。そこで白羽の矢を立てたのが、有能なリシュリュー枢機卿でした。王と枢機卿は密接に連携し、王権の強化を着実に進めていきます。
1628年にプロテスタント(ユグノー)の拠点ラ・ロシェルが陥落し、続く1629年6月28日のアレスの和約によって、ユグノーが獲得していた政治的・軍事的特権は大きく縮小されました。
「欺かれた日」と三十年戦争への介入
1630年の「欺かれた日(Journée des Dupes)」では、宮廷内のカトリック強硬派(敬虔派)を退け、ハプスブルク家(スペイン・オーストリア)に対抗するため、プロテスタント勢力と手を結んで三十年戦争に介入する道を選びました。
増税と民衆反乱
膨らむ戦費を賄うため、タイヤ(人头税)やガベル(塩税)といった税負担が増大し、農民反乱が各地で頻発しました。1636〜37年のクロカン党の乱、1639〜40年の「裸足党(Va-nu-pieds)」の乱などがその代表例です。
また1640年には、初の金貨「ルイドール」が鋳造されました。
業績と最期
ルイ13世は封建制度に終止符を打ち、絶対王政の基礎を築き上げた王として歴史に名を刻んでいます。1643年5月14日、41歳でその生涯を閉じました。
基本情報
- 生没年:1601年9月27日 – 1643年5月14日
- 身分:フランス国王