歴史上の人物

セシル・ブランシュヴィック――女性に選挙権がない時代に初入閣を果たしたフェミニスト政治家

セシル・カーン、結婚後はセシル・ブランシュヴィック(1877年~1946年)は、フランスの政治家でありフェミニストでした。1936年、女性がまだ選挙権を持たなかった時代に、イレーヌ・ジョリオ=キュリー、シュザンヌ・ラコールとともに、フランス政府に入閣した最初の3人の女性の一人となりました。

父に隠れて続けた学び

セシル・ブランシュヴィック――女性に選挙権がない時代に初入閣を果たしたフェミニスト政治家アルザス出身の実業家アーサー・カーンの娘として、セシルは1877年7月19日、セーヌ=エ=ウワーズ県で誕生しました。ユダヤ系ブルジョワの共和主義の家庭に育ちましたが、その家では「女性は学ぶべきではない」という考え方が根付いていました。そこでセシルは父に隠れて勉強を重ね、17歳にして上級小学校卒業証書(ブレビェ・シュペリウール)を、父の反対を押し切って取得したのです。

女性の権利のための闘い

1899年、セシルはフェミニスト哲学者であり、人権連盟の理想主義的メンバーでもあったレオン・ブランシュヴィックと結婚し、4人の子どもに恵まれました。夫とともに女性の権利、とりわけ女性参政権獲得のための運動を開始します。さらに職場における男女平等の実現にも力を注ぎ、同一賃金の要求、あらゆる職業への女性の門戸開放、母親の就労を妨げる一切の障壁の撤廃などを訴え続けました。

国民教育省政務次官として

フランス女性参政権連盟(UFSF)の中で着実に影響力を拡大したセシルは、1924年に同連盟の会長に就任します。同時に国際女性評議会や国際女性参政権同盟にも参加しました。政治の世界へも足を踏み入れ、1924年に共和急進党・急進社会党(PRS)に入党し、1929年には「フェミニズム三部会」に積極的に関わっています。

そして1936年、ブルム人民戦線政権において国民教育省政務次官に任命されました。イレーヌ・ジョリオ=キュリー、シュザンヌ・ラコールと並ぶ、フランス史上初の女性閣僚の一人です。在任中には学校給食の創設、児童の健康リスク監視体制の整備、女子教育の推進といった実績を残しました。

戦時下の日々と晩年

第二次世界大戦中、ユダヤ系という出自ゆえに迫害の危険にさらされたセシルは、南フランスに身を隠し、女子寄宿学校で教師として働きました。終戦後には活動を停止していたUFSFを再建し、再び女性の権利運動の先頭に立ちます。

セシル・ブランシュヴィックは1946年10月5日、ヌイイ=シュル=セーヌでこの世を去りました。生前の1937年にはレジオン・ドヌール勲章を受章しています。