歴史上の人物

ルイ18世――革命と帝政を生き抜き、王座に返り咲いたブルボン朝の王

ルイ18世の生涯

ルイ18世(本名:ルイ・スタニスラス・グザヴィエ、プロヴァンス伯)は、フランス国王ルイ16世の弟として生まれました。宮廷では「ムッシュー(Monsieur)」の称号で呼ばれる身分高い王子でした。

ルイ18世――革命と帝政を生き抜き、王座に返り咲いたブルボン朝の王

革命期の亡命

フランス革命が激化し、兄ルイ16世がテュイルリー宮殿からの脱出を試みた頃、彼もまた国外への亡命を選択します。まずブリュッセルへ、その後ライン川沿岸へと移りながら亡命生活を続けました。1793年に兄が処刑されると、亡命先で自ら摂政を宣言し、ブルボン家の正統な後継者としての立場を示しました。

王位への帰還と憲章の公布

彼が正式にフランス王として即位したのは、ナポレオンが退位した1814年のことでした。革命と帝国という激動の時代を経てようやく迎えた戴冠だったため、「望まれし王(le Désiré=ル・デジレ)」と称されました。

王座にとどまるためには国民の支持と自由の保障が不可欠だと考えたルイ18世は、絶対王政を放棄する憲章(1814年憲章)を公布します。この憲章は法の下の平等、個人の自由、表現の自由、そして何よりも出版の自由を掲げ、近代フランス憲政の出発点となりました。

百日天下と再びの亡命

しかし1815年、ナポレオンがエルバ島から脱出して帰還すると、王政は打倒され、ルイ18世はふたたび国外への逃亡を余儀なくされます。これがいわゆる「百日天下」です。ワーテルローの戦いでナポレオンが最終的に敗北すると、「望まれし王」はふたたびパリへ凱旋し、王位に復帰しました。

晩年の統治と外交的復権

治世後半のルイ18世は、超王党派(ウルトラ)と自由主義派の間で揺れ動きながら、両勢力のバランスを取る政治運営を行いました。1823年にはスペインへ遠征軍を派遣し、絶対主義体制に戻ろうとしたフェルナンド7世の王位回復を支援。この成功により、国際的に孤立していたフランスは再びヨーロッパ列強の一員としての地位を取り戻しました。

1824年9月16日、ルイ18世は直系の嗣子のないままこの世を去りました。王位は弟のシャルル10世に引き継がれます。

プロフィール

生没年:1755年11月17日 – 1824年9月16日
身分:フランス国王(ブルボン朝復古王政)

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