ホセ・リサールに息子や娘はいたのか?
フィリピンの国民的英雄として知られるホセ・リサール(José Rizal、1861年〜1896年)には、生物学的な意味での実子はいませんでした。しかし、その短くも激動の人生には、愛する人との出会いや、わずかな時間だけこの世に生を受けた子どもの存在など、知られざる家族の物語があります。
ジョセフィン・ブレイケンとの出会い
ミンダナオ島ダピタンに流刑されていた1895年、リサールは香港から訪れたアイルランド系の女性ジョセフィン・ブレイケンと出会います。彼女は義父の眼病治療を目的にリサールを訪ねたと伝えられています。二人はすぐに惹かれ合い、結婚を望みましたが、当時の司祭が課した条件をめぐって対立したため、正式な結婚は叶いませんでした。それでも二人は事実上の夫婦としてダピタンで暮らしました。
生まれてまもなく世を去った我が子
ジョセフィンは妊娠しますが、悲劇的なことに早産となり、生まれた男児は誕生からわずか数時間で亡くなったと伝えられています。この子には、リサールの父にちなんだ名前が与えられたという説もあります。こうした経緯から、ホセ・リサールに直系の子孫は存在しないのが史実です。
リサールの真の「子どもたち」――著作と思想
実子こそいなかったものの、リサールは『ノリ・メ・タンジェレ(Noli Me Tangere)』や『エル・フィリブステリスモ(El Filibusterismo)』といった小説を通じて、スペイン植民地支配下のフィリピン社会の改革を訴え続けました。これらの著作はフィリピン独立運動の大きな原動力となり、彼はまさに「多くのフィリピン人にとって精神的な父」と呼ぶにふさわしい存在となったのです。
リサール家の血筋は兄弟姉妹が受け継いだ
ホセ・リサール自身に子孫はいませんが、彼は11人きょうだいの一人であり、兄弟姉妹の子孫たちが現在もリサール家の血筋と記憶を受け継いでいます。フィリピンでは毎年12月30日の処刑日にちなみ「リサール・デー」が祝日となっており、マニラのリサール公園(ルネタ公園)の記念碑には、今なお多くの人々が花を捧げに訪れています。