スペイン内戦(1936年~1939年)は、20世紀のヨーロッパ史を理解するうえで欠かせない重要なテーマです。この記事では、大学入試などで実際に出題された問題をもとに、ピカソの名作「ゲルニカ」や国際旅団、フランコ政権の成立などをめぐる演習問題を4問紹介し、それぞれの解答と詳しい解説をまとめました。
問題1:ピカソの「ゲルニカ」
(Fuvest)ピカソが有名なパネル画「ゲルニカ」に記録したのは、バスク地方の都市が悲劇的に破壊された様子でした。この破壊をもたらしたのは、次のうちどれでしょうか。
a)第二次世界大戦中のナチス・ドイツ軍による攻撃
b)内戦中、ソ連の支援を受けたスペイン共和派による攻撃
c)第一次世界大戦中のフランス軍による攻撃
d)バスク分離主義者の反乱を鎮圧するためのスペイン政府軍による攻撃
e)共和派に対抗するフランコ将軍を支援するために行われたドイツ空軍による爆撃
問題2:国際旅団の動員
(Enem)国際旅団は、スペイン共和国を防衛するために戦うことを志願した、53か国の国籍を持つ戦闘員で構成された部隊でした。世界各地から約6万人――その中には40人のブラジル人も含まれていました――がこれらの部隊に加わったと推定されています。共産主義者によって統括されていたものの、旅団には社会主義者、自由主義者など、多様な政治的・思想的立場のメンバーが含まれていました。
SOUZA, I.I.「欧州内戦」Living History 第70号、2009年(抜粋)
スペイン内戦は、1930年代のヨーロッパで進行していた対立を反映するものでした。上記のような動員を促した共通の政治的視点とは何でしょうか。
a)スターリン主義への批判
b)ファシズムとの闘い
c)連邦主義の拒否
d)コーポラティズム(組合国家主義)への支持
e)アナキズムへの傾倒
問題3:1930年代の政治状況
スペイン内戦は、1936年から1939年にかけてスペインで起こった紛争であり、約50万人の死者を出しました。国民派と共和派という対立する両陣営はスペインの権力をめぐって争い、国民派によるクーデターをきっかけに紛争が始まりました。国民派の勝利により、フランシスコ・フランコ将軍がスペインの権力を握り、1975年に死去するまでその地位に留まりました。
スペイン内戦は、1930年代のどのような文脈の一部だったといえるでしょうか。
a)左右の政治対立の先鋭化
b)君主制の打倒
c)反宗教運動の擁護
d)民主主義の擁護
e)マッカーシズムによる国際共産主義との闘争
問題4:フランコへの国際的支援
スペイン内戦は、その国際化によって広く知られるようになりました。世界各地から数千人がスペインでの闘いに加わり、なかでも国際旅団が目立ちました。彼らはフランコ将軍率いる国民派の軍隊と戦いました。一方、フランコ将軍はどのような支援を受けていたのでしょうか。
a)ナチス・ドイツとファシスト・イタリアからの軍事的支援
b)アメリカ政府からの資金援助。同政府はスペインにおける共産主義の拡大を食い止めるため、数百万ドルを送った
c)フランコ軍は国際的な支援を受けていなかった
d)ポルトガルのサラザール体制のみからの支援
e)スペインにおけるトロツキスト勢力の拡大と戦っていたソ連からの支援
解答と解説
問題1の解答:正解はE
パブロ・ピカソが描いたこの作品は、ドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)によるゲルニカ爆撃の後、街が破壊された様子を描いています。ドイツにとってこの爆撃は、開発された航空機を実戦で試す実験場であると同時に、パイロットに実戦経験を積ませる機会でもありました。爆撃では約300人が死亡したと推定されています。
問題2の解答:正解はB
国際旅団は、自発的にスペインでの闘いに加わった兵士たちによって構成され、当時ファシズムの拡大に対抗しようという左派的な潮流の一環でした。スペイン内戦において、これらの旅団はフランコ将軍率いるファシスト勢力を打ち倒すために動員されました。
問題3の解答:正解はA
1930年代のスペインで政治対立が先鋭化し、スペイン内戦へと至ったこの流れは、共産主義とファシズムが激しく対抗しあった国際的な趨勢の一部でした。スペインの場合、こうした政治的な先鋭化が、両イデオロギーを代表する大国の支援を受けた紛争を引き起こしました。フランコ率いる国民派はドイツ、イタリア、ポルトガル(ファシズム諸国)から支援を受け、共和派はソ連の支援を受けました。ただしソ連はファシスト軍と戦う一方で、共和派内部のアナキストやトロツキスト勢力とも戦っていました。
問題4の解答:正解はA
紛争が始まるとすぐに、ナチス・ドイツとファシスト・イタリアはフランコのファシズムへの支持を表明し、共和派の軍隊に対して軍事支援と兵力を提供しました。フランコ将軍はまた、同じくファシズムに同調する政権を有していたポルトガルからも支援を受けていました。