はじめに:スペイン継承戦争とは
スペイン継承戦争(1702〜1714年)は、スペイン王カルロス2世の死去をきっかけに、フランス・ブルボン家とオーストリア・ハプスブルク家の間でスペイン王位の帰属を巡って争われた大規模な国際紛争です。この戦争はヨーロッパの覇権構造を大きく変えるだけでなく、南米の植民地や大西洋圏の通商体制にも深刻な影響を及ぼしました。以下の4問に挑戦し、戦争の発端から講和条約までの流れを確認しましょう。
問題1
いわゆるスペイン継承戦争(1702〜1714年)において、フランスとスペインがイングランドなどの諸国と対立し、戦争に突入した主な原因は次のうちどれでしょうか。
a) ブルボン家のフィリップ王の暗殺
b) カルロス2世の死後、スペイン王位が空位となったこと
c) ルイ16世によるスペイン王位の簒奪
d) ナポレオン軍の侵攻に対するスペイン民衆の反乱
e) 薔薇戦争がもたらした政治的影響
問題2
以下の文章を読み、正しい選択肢を選んでください。
「1713年初頭、イングランドとフランス間の交渉が終わってまもなく、フランスは今度はポルトガルとの交渉に着手することとなった。ブラジル北部で両王室が係争中の土地について、ポルトガルの立場は、アマゾン川とヴィセンテ・ピンソン川(オヤポック川)の間に位置する北岬のすべての土地を自国が正当に所有しており、これらの土地の保有こそがアマゾン川航行の独占的権利を与えるものである、というものであった。」(FURTADO, Júnia Ferreira. 『戦争・外交・地図――スペイン継承戦争、ユトレヒト条約とダンヴィルの地図学におけるポルトガル領アメリカ』. Topoi, v.12, no.23, 2011年7月〜12月号, p.76.)
1713年、スペイン継承戦争は終結に向かいつつあり、ポルトガルは植民地独占を定めた植民地契約(パクト・コロニアル)上の特権を失う一方で、アマゾン地方の一部の土地を獲得することに成功しました。この年に調印され、こうした取り決めを確定させた条約とはどれでしょうか。
a) メトゥエン条約
b) コインブラ条約
c) ロンドン条約
d) ハーグ条約
e) ユトレヒト条約
問題3
スペイン継承戦争の初期、フランス王位とスペイン王位の合一の可能性に対抗していたイングランドは、戦略上重要な位置を占めるポルトガルとの通商同盟を模索していました。この状況下でイギリスとポルトガルの間で結ばれた主な協定とは何でしょうか。
a) ニューディール政策
b) ユトレヒト条約
c) メトゥエン条約
d) マニュファクチュア条約
e) トルデシリャス条約
問題4
スペイン継承戦争の帰趨を決めた戦いは次のうちどれでしょうか。
a) ワーテルローの戦い
b) ペロポネソスの戦い
c) 薔薇戦争の戦い
d) マルプラケの戦い
e) トラファルガーの海戦
解答と解説
問題1の解答:b
スペイン継承戦争は、カルロス2世の死後に王位継承者が不在となったことが直接的な発端でした。ただし、国王自身は生前、フランス出身のアンジュー公を後継者に指名していました。これはオーストリア、オランダ、イングランドなどに関わる諸王家にとって受け入れ難いものでした。各国が反発した最大の理由は、アンジュー公の即位によってスペインとフランスの王座が同一の勢力下に置かれる可能性が生じたことにあります。
問題2の解答:e
ユトレヒト条約は、スペイン継承戦争の終結に伴う地政学的な再編を定めたものです。敗戦したスペインは、中南米植民地に関する多くの特権を失い、各植民地は他国の王冠と直接取引を行うようになりました。これにより植民地契約(パクト・コロニアル)は崩壊へと向かいます。この影響はポルトガルの植民地にも及びましたが、冒頭の文章が示すとおり、ポルトガル自身はこの条約から一定の利益を得ることとなりました。
問題3の解答:c
1703年に調印されたメトゥエン条約は、「布とワインの条約」としても知られています。これはイギリスとポルトガルの間で結ばれた二国間協定で、両国間におけるワインと織物の輸出入の相互促進に加え、イギリスによるポルトガルへの軍事的保護の提供も含まれていました。
問題4の解答:d
マルプラケの戦いは、18世紀で最も激烈かつ犠牲の大きかった戦闘の一つです。フランス軍の指揮官としては、クロード・ヴィラール公(ヴィラール元帥)が陣頭に立って活躍しました。この戦いは、スペイン・フランス側に対する「大同盟」諸国の勝利を象徴するものとなりました。