アメリカ南北戦争に関する演習問題
アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)は、北部諸州(連邦側)と南部諸州(連合側)の間で争われた内戦です。ここでは、南北戦争に関する基本概念を復習しながら、以下の問題に取り組みましょう。
問題
問1:「分離(secession)」の意味
「分離(secession)」という言葉の意味を辞書などで調べ、記録しましょう(使用した出典も明記すること)。
問2:南北戦争前の南北の経済
南北戦争以前のアメリカ合衆国における北部諸州と南部諸州の経済について、簡潔に述べましょう。
a) 北部:
b) 南部:
問3:南部諸州が分離を決めた理由
南部諸州が合衆国の他の州から分離(脱退)しようと決めた理由を3つ挙げましょう。
問4:北部が分離を受け入れなかった理由
これほど異なる特徴を持っていたにもかかわらず、なぜ北部諸州は南部諸州の分離を受け入れなかったのでしょうか?
問5:北部が勝利した理由
南北戦争(1861年〜1865年)において、北部が南部に勝利した理由を説明しましょう。
問6:奴隷制廃止の比較(アメリカとブラジル)
アメリカ合衆国とブラジルにおける奴隷制廃止について、共通点と相違点を挙げながら簡単に比較しましょう。
解答
問1の解答
辞書で調べると、「分離(secession)」とは、それまで一体であったものから分かれて離れること全般を指す言葉であることがわかります。南北戦争の文脈では、南部諸州が合衆国から抜け出し、別個の国家(アメリカ連合国)を形成しようとした出来事を指します。
問2の解答
a) 北部:北部諸州の経済は工業部門の発展を基盤としていました。賃金労働者を雇用するとともに、国内消費向けの中小規模農業も営まれていました。
b) 南部:南部諸州は基本的に農産物輸出型の経済でした。外国市場向けの農産物(綿花など)を生産する大規模な単一栽培(モノカルチャー)農園が中心で、奴隷労働が組織的に利用されていました。
問3の解答
南部諸州が分離を決めた理由としては、主に次の3点が挙げられます。
- 北部が掲げた奴隷制廃止の方針への反対
- 西部の土地を移民家庭へ小区画で分配する政策への反対
- 国の経済を工業化へと重点的に進めようとする北部の路線への反対
要するに、南部諸州は北部諸州が描く経済構想そのものに反対していたのです。
問4の解答
政治的な主張が大きく異なっていたとしても、北部諸州は、政治的・領土的な統一こそがアメリカ経済の発展にとって不可欠であることを認識していました。国家分裂を許せば北部の経済的目標が損なわれるため、宣戦布告は北部にとって極めて重要な意味を持ったのです。
問5の解答
南部は粘り強く抵抗しましたが、北部軍を優位に立たせる圧倒的な軍事力とインフラには太刀打ちできませんでした。充実した武器、艦船、鉄道網が、北部軍による組織的な攻撃を支え続けたのです。
問6の解答
ブラジルでは、奴隷制廃止は皇帝の勅令(1888年の「黄金法」)によって実現し、廃止そのものに対する大規模な反対運動は見られませんでした。一方、アメリカでは奴隷制廃止をめぐる問題が激しい対立の火種となり、南北戦争を正当化する根本的な争点の一つになりました(リンカーンの奴隷解放宣言(1863年)や憲法修正第13条(1865年)につながる動きです)。
さらに注目すべき共通点として、どちらの場合も、廃止後に黒人コミュニティを社会へ包摂するための具体的な政策がほとんど講じられなかったことが挙げられます。