本記事では、第二次世界大戦中の1940年にナチス・ドイツがフランスへ侵攻した際の歴史的背景や軍事戦略について学べる、選択式の練習問題を4問用意しました。後半には各問題の正解と詳しい解説を掲載していますので、理解度の確認にぜひご活用ください。
問題1
フランス侵攻が始まる直前、ヒトラーはフランス侵攻計画の延期に伴い、ヨーロッパの別の国へ侵攻していました。この国への侵攻は戦略的に重要視されており、スウェーデンの鉄鉱石の供給路を確保するとともに、イギリス攻撃のための重要な航空基地をドイツにもたらすものでした。さて、この国とはどこでしょうか。
- a) スウェーデン
- b) ノルウェー
- c) ポーランド
- d) フィンランド
- e) ユーゴスラビア
問題2
フランスとドイツの国境沿いに何キロメートルにもわたって要塞群が築かれた、フランスの重要な防衛線の名称は何でしょう。
- a) マジノ線
- b) ダラディエ線
- c) アルデンヌ線
- d) ムーズ線
- e) エベン・エマエル要塞
問題3
(2009年 Enem〈ブラジル全国高校統一試験〉より)
西進してパリを占領することは、ヒトラーにとって大陸における自らの覇権を固める手段でした。そのため、1940年4月から6月にかけて、彼はデンマーク、ノルウェー、ベルギー、そしてオランダへ相次いで侵攻しました。これに対しフランス軍は、塹壕を備えた防衛線であるマジノ線に陣を敷き、ドイツ軍の侵攻を食い止めようとしました。
この侵攻の結果、ドイツにとってどのような帰結をもたらしたのでしょうか。
- a) フランス全土を占領し、戦争第二段階においてスイスおよびスペイン征服の拠点として利用した。
- b) フランス領土を占領し、塹壕戦の中でナチスによる北アフリカ占領の拠点として利用した。
- c) マジノ線におけるフランス軍の武装抵抗により、領土の一部しか確保できなかった。
- d) 初期の進撃の後、1940年にド・ゴール将軍率いる戦車部隊の抵抗に遭い、部分的な勝利にとどまった。
- e) 軍事的勝利を収めてフランスの一部を占領し、残りの地域はフランスの対独協力政権の支配下に置かれた。
問題4
フランス侵攻におけるドイツの戦争戦略は、わずか46日間でフランスを征服するという勝利を決定づける上で決定的な役割を果たしました。このドイツの戦略とは、どのようなものでしょうか。
- a) 第一次世界大戦時と同様に、塹壕戦を展開しながらベルギー経由で攻撃を強行した。
- b) マジノ線への攻撃を強行してフランスの要塞を破壊し、そこからパリへ進軍した。
- c) フランス軍を三方向の正面から攻撃し、とりわけ敵の意表を突く地点(アルデンヌ)から攻め込み、そこから挟撃機動によってベルギー国境で戦うフランス軍を包囲した。
- d) ドイツ兵をノルマンディーの海岸に上陸させ、その地域をパリ攻略の出発点として利用した。
- e) 防衛陣地と航空基地への大規模な攻撃によってフランス空軍を無力化し、空挺部隊を投入してパリを征服した。
解答と解説
問題1の解答:b) ノルウェー
ノルウェーへの攻撃は1940年4月に開始されました。これは、ナチス・ドイツの海軍提督とあるノルウェーの政治家が、スカンジナビア諸国を征服することの戦略的重要性をヒトラーに説いたことがきっかけです。また、ドイツのフランス侵攻計画が二度にわたり延期されたこともあり、ノルウェー領への侵攻が代替案として浮上しました。ノルウェーの征服により、ヒトラーはスウェーデンの鉄鉱石生産を掌握し、さらにノルウェー領土をイギリス攻撃のための航空基地として利用できるようになったのです。
問題2の解答:a) マジノ線
マジノ線は、フランスのドイツ、ルクセンブルク、スイスとの国境沿いに延びる、要塞化された軍事施設群のことです。この防衛線は1930年代に建設され、計画を考案し、フランス政府から建設費を引き出すことに成功したフランス陸軍大臣アンドレ・マジノにちなんで名付けられました。マジノ線がフランス沿岸まで築かれなかった理由としては、莫大な工事費用の問題に加え、ベルギーとの国境におけるベルギーの中立を侵害したくないというフランス側の配慮があったとされています。
問題3の解答:e) 軍事的勝利とヴィシー政権の成立
ナチス・ドイツによるフランス侵攻は、首都パリの陥落をもって軍事的勝利に終わりました。ナチスの占領はフランス北部に集中し、南部地域の支配権はフィリップ・ペタン元帥が率いる対独協力政権、いわゆる「ヴィシー政権」(フランスの協力政府の名称に由来)に委ねられました。この協力政権は、1944年に連合国軍がフランスを奪還するまで存続しました。
問題4の解答:c) 三正面からの攻撃とアルデンヌ突破
ドイツの戦略は、北(ベルギー)、中央(アルデンヌ)、南(マジノ線)の三つの正面からフランス軍を同時に攻撃するというものでした。主攻撃は、フランス軍の防備が手薄だったアルデンヌ地方で仕掛けられる予定でした。一方、北のベルギー方面では、ドイツ軍が攻勢をかけてフランス軍をおびき寄せます。アルデンヌを抜けて進撃した後、ドイツ軍は挟撃(はさみうち)機動を実施し、北部に集中していたフランス軍の主力を包囲する、というのが作戦の骨子でした。