ポーランド侵攻と第二次世界大戦の勃発に関する演習問題
1939年9月1日、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻をきっかけに第二次世界大戦が勃発しました。本記事では、開戦の経緯や関連する重要概念についての演習問題を4問収録し、それぞれの正解と詳しい解説を掲載しています。歴史の試験対策や学習の復習にぜひご活用ください。
問題1
(UTFPR) 1935年、ドイツはヴェルサイユ条約に反して軍備生産を再開し、義務兵役制度を復活させました。1938年にはオーストリアを併合し、その後まもなくチェコスロバキア国内のドイツ系少数民族が暮らすズデーテン地方を編入するとともに、ソ連との間で不可侵・中立協定に調印しました。こうして第二次世界大戦の種は蒔かれ、1939年9月1日についに戦争が勃発しました。その直接の引き金となったのは、次のうちどれでしょうか。
a) ナチス軍がマドリード侵攻を通じてスペイン内戦に実質的に参加したこと。
b) ナチス軍によるポーランド侵攻、およびこれを支援するためイギリスとフランスが第三帝国に対して宣戦布告したこと。
c) ナチス軍によるロシア領土への侵攻によって独ソ不可侵条約が破棄されたこと。
d) チェコスロバキアのズデーテン地方からドイツ軍が撤退し、ハンガリーへ侵攻したこと。
e) ダンツィヒ自由市につながる「ポーランド回廊」を、主にイタリア軍などのナチス同盟国が占拠したこと。
問題2
「ドイツ国防軍は敵よりもはるかに優れた武装と装甲を備えていた。ポーランドは貧しい国であり、軍用・民間トラックはわずか数千台しか保有していなかった。同国の国家予算はベルリン市のそれよりも小さかった。」
― マックス・ヘイスティングス『世界大戦 1939-1945』p.27
この一節は、1939年9月にドイツ軍がポーランドへ侵攻した際のポーランド軍の準備不足に触れています。しかし、ドイツの勝利を理解するうえで、戦術面でもう一つ決定的な要因がありました。それは何でしょうか。
a) ソ連によるポーランド東部への侵攻により、ドイツ軍と戦うはずだった部隊の動員が妨げられたこと。
b) ドイツ軍が採用した戦術、すなわち各部隊による同時攻撃を連携させる「電撃戦(ブリッツクリーク)」。
c) 国民の戦いへの関与の低さ。ポーランド軍には多数のドイツ系民族が所属していた。
d) この要因以外に、紛争の帰趨を決めた要素は存在しなかった。
e) 騎兵の活用により、ポーランド軍との戦闘でドイツ軍の機動性が向上したこと。
問題3
ヒトラーにとってポーランドの征服は、「生存圏(lebensraum)」構築における重要な一環でした。この概念は、1924年から1925年にかけて投獄中に執筆された著書『我が闘争』の中で展開されたものです。「生存圏」とは何か、最も適切な定義を選びなさい。
a) ドイツ語をヨーロッパ全体の公用語とすること。
b) ポーランド軍をドイツ軍に編入し、ナチスの兵力を増強すること。
c) ボルシェヴィズムに対抗してナチズムの理念を広めるため、東欧にナチス支部を設立すること。
d) 新しいドイツ帝国が発展するための所謂「生存空間」を建設すること。
e) 東欧におけるユダヤ人迫害に両者が取り組むことを約束する、ソ連との協力計画。
問題4
「1939年3月、イギリスとフランスの政府は、ドイツがポーランドに侵略行為を行った場合には参戦するという保証を与え、その後の条約で正式化した。最悪の事態が起きた場合、フランスはワルシャワの軍指導部に対し、動員から13日以内にヒトラーのジークフリート線を攻撃すると約束した。イギリスは爆撃機によるドイツへの即時攻勢を約束した。だが列強が提示した保証には冷笑的な側面があった。どちらにも履行する意思は微塵もなく、むしろヒトラーを抑止することが目的だったのだ。」
― マックス・ヘイスティングス『世界大戦 1939-1945』p.16
イギリスとフランスから約束された援助は、フランス軍がドイツ領内でわずか8キロ前進した程度にとどまりました。上記の一節にあるように、両国にはポーランドを支援する意志がなく、対独宣戦布告も1939年9月3日まで発せられませんでした。では、ドイツと戦う本当の意志がなかったにもかかわらず、宣戦布告を行った真の狙いは何だったのでしょうか。
a) 英仏の宣戦布告は一種のブラフであり、両国との衝突を恐れてヒトラーが撤退することを期待したもの。
b) 1938年に英米間で締結された軍事協力協定を確実にするため、アメリカを参戦させること。
c) スラブ民族の防衛へのコミットメントを示すことで、ソ連を参戦させること。
d) 当時ドイツ国民が戦争に反対していたことは周知の事実であったため、ドイツ国内の不満を煽ること。
e) 両国とも首相選挙が近づいていたため、ネヴィル・チェンバレンらが自己宣伝の目的で宣戦布告を利用した。
解答と解説
問題1の解答:B
第二次世界大戦は、1939年9月1日のナチス・ドイツによるポーランド侵攻をもって正式に始まりました。2日後の9月3日、フランスとイギリスは、ポーランドと結んでいた防衛協定を履行する形でドイツに宣戦布告します。しかし実際には、ポーランド防衛のために派遣された部隊はありませんでした。ポーランドはドイツの侵攻にほぼ単独で立ち向かうことになり、開戦から1か月足らずで国土を制圧されました。さらに9月17日にはソ連も東部からポーランドへ侵攻しました。
問題2の解答:B
電撃戦(ブリッツクリーク)は、ポーランドのみならず、第二次世界大戦序盤におけるドイツのほぼすべての征服作戦で勝利を決定づけた戦術です。これは航空機・装甲部隊・歩兵による連携攻撃から成り立っていました。航空機の役割は敵の通信網を遮断し、防空対応を困難にすること。装甲部隊と歩兵は交互にポーランド軍の弱点を攻撃し、戦線に突破口を開いてそこから浸透していきました。一方のポーランド軍は装備が旧式化しており、不適切な防御戦術を選択していたことも敗北の一因となりました。
問題3の解答:D
生存圏(lebensraum)とは、新たなドイツ帝国(ライヒ)の建設を通じてドイツのための「生存空間」を創出するという構想でした。この考えはヒトラーが『我が闘争』の中で展開したものであり、東欧へのドイツ民族の領土拡張によってこれらの土地を植民地化し、資源を搾取することを基盤としていました。また、第一次世界大戦終結時に締結されたヴェルサイユ条約で失われた旧ドイツ領土の回復という構想も、生存圏の概念に含まれていました。
問題4の解答:A
イギリスとフランスはドイツと戦う覚悟がなかったため、宣戦布告は一種のブラフであり、両国との衝突を恐れたヒトラーに撤退させることが狙いでした。1930年代後半、英仏の首相たちがナチスの領土拡張計画に対して示した譲歩的な姿勢(宥和政策)は、結果的にドイツのポーランド侵攻を招くことになりました。ポーランドへの支援として示されたのは、フランス軍によるドイツ領内での小規模な進撃のみで、実際の戦闘は発生しませんでした。孤立無援となったポーランドは数日間抵抗を続けましたが、首都ワルシャワは1939年9月28日に降伏しました。