はじめに
1968年にチェコスロバキアで起こった「プラハの春」は、冷戦期における東欧民主化運動の象徴的な出来事です。本記事では、プラハの春に関する選択式問題を4問用意し、それぞれに詳しい解説を付けています。歴史の復習や試験対策にぜひご活用ください。
問題
問題1
プラハの春は、共産圏のある国において、ソ連の定めた指導路線に従って国内に導入された体制を民主化しようとした試みでした。この出来事が発生した国として正しいものを選びなさい。
a) ユーゴスラビア
b) チェチェン
c) チェコスロバキア
d) ハンガリー
e) ポーランド
問題2
1968年にチェコスロバキアで広がった改革運動は、同国共産党の新しい第一書記の就任から始まりました。この新書記は「人間の顔を持つ社会主義」の実現を目指す改革を開始しました。この人物とは誰でしょう?
a) レオニード・ブレジネフ
b) アレクサンドル・ドゥプチェク
c) ニキータ・フルシチョフ
d) ミハイル・ゴルバチョフ
e) ニコラエ・チャウシェスク
問題3
1968年のチェコスロバキアでの出来事はモスクワの注意を引き、ソ連指導部はチェコスロバキア指導部との会談を重ねました。しかし同年8月、チェコスロバキアはソ連軍によって侵攻され、進行中の改革は中断されてしまいます。このソ連の行動を説明する要因はどれでしょうか?
a) チェコスロバキアの例が他の共産圏諸国に波及し、ソ連の権力が弱まることを恐れたため。
b) チェコスロバキアでの抗議活動がズデーテン地方の工業生産を混乱させ、ソ連経済に打撃を与えていたため。
c) モスクワ政府がドゥプチェクの宿敵であり、彼がソ連領内の反乱共和国キルギス出身だったため。
d) ソ連政府がチェコスロバキアの出来事を口実に、1965〜1967年生産サイクルで製造された新兵器を実戦使用するため。
e) アレクサンドル・ドゥプチェクを打倒し、ニコラエ・チャウシェスクをチェコスロバキアの指導者に据えるため。
問題4
プラハの春には、チェコスロバキアの学生運動が大規模に参加しました。プラハ以外にも、ヨーロッパのもう一つの都市で学生運動の強い動員が起こりました。それは「3月22日運動」と呼ばれるグループから始まり、1968年5月以降、顕著な役割を果たすことになります。この都市はどこでしょう?
a) パリ
b) マドリード
c) ブラチスラヴァ
d) ロンドン
e) モスクワ
解答と解説
問題1の解答:C(チェコスロバキア)
プラハの春の出来事は、現在のチェコとスロバキアにあたる旧チェコスロバキアで発生しました。プラハの春は、国内に確立された共産主義体制への不満を示す運動であり、政治家、学生、知識人など幅広い層が動員されました。その狙いは、共産主義の民主化と、チェコスロバキアにおけるソ連型権威主義からの脱却でした。
問題2の解答:B(アレクサンドル・ドゥプチェク)
アレクサンドル・ドゥプチェクは1968年1月5日にチェコスロバキア共産党の第一書記に就任し、「人間の顔を持つ社会主義」、すなわち民主的な開放性と市民一人ひとりの自由拡大を目指す改革を開始しました。ドゥプチェクによる重要な施策の一つが国内検閲の廃止であり、彼の国家構想は「行動綱領」としてまとめられました。
問題3の解答:A
ソ連の軍事介入は、モスクワ政府指導部がチェコスロバキアでの出来事を、共産圏全体に対する自らの権力の安定性を揺るがす重大な脅威と見なしたために実行されました。最大の懸念は、この改革主義が他の東欧諸国へ飛び火し、モスクワの支配力を弱体化させることでした。この発想は、のちに「ブレジネフ・ドクトリン(制限主権論)」として知られることになります。
問題4の解答:A(パリ)
プラハの春の出来事は、世界各地で同時期に起こった数々の抗議運動と呼応していました。たとえば、アメリカ合衆国におけるアフリカ系アメリカ人の公民権運動や、軍事独裁政権に反対したブラジルの学生運動などが挙げられます。問題文が指し示していたのは、フランス・パリでの学生動員から始まり、一代の人々に深い刻印を残した「五月革命(メイ68)」です。