歴史クイズ

ローマ帝国滅亡の演習問題|ゲルマン民族の侵入と西暦476年の崩壊を解説付きで確認

西ローマ帝国は、政治の腐敗、経済危機、軍の弱体化、そしてゲルマン諸民族の侵入など、数々の要因が重なって西暦476年に滅亡へと至りました。ここでは、その歴史的過程についての理解度を確かめられる選択式の演習問題を4問用意しました。各問題の後に解答と詳しい解説を掲載していますので、世界史の授業の予習・復習や試験対策にぜひご活用ください。

問題1:ゲルマン民族の侵入に関わらなかった民族は?

西ローマ帝国滅亡へと至る過程では、ゲルマン諸民族がローマの権力を弱めるうえで重要な役割を果たしました。次のうち、ゲルマン民族の侵入に関わらなかった民族の名前を含む選択肢を選んでください。

a) エトルリア人
b) ヘルリ人
c) アレマン人
d) ヴァンダル人
e) 西ゴート人

問題2:西暦476年に何が起きたのか?

歴史学者たちは、西暦476年を西ローマ帝国崩壊を示す画期的な年として位置づけています。この年に帝国の分裂を決定づけた出来事とは、次のどれでしょうか。

a) アッティラ率いるフン族によるローマ市への攻撃
b) ヘルリ人によるローマ市征服後、皇帝ロムルス・アウグストゥスの廃位
c) コンスタンティヌス帝の命令による首都のローマからアヴェッリーノへの遷都
d) コンスタンティノープル市の建設
e) ローマ元老院議員たちのコンスタンティノープルへの移送

問題3:西ローマ帝国崩壊の原因に当てはまらないものは?

西暦476年の最終的な滅亡につながった西ローマ帝国の分裂は、複数の出来事が組み合わさった結果でした。次の中から、その原因として説明されることのないものを選んでください。

a) 奴隷制の危機
b) 経済危機
c) ローマとコンスタンティノープルの間の内戦
d) ゲルマン民族の侵入
e) 政治・行政の腐敗

問題4:宗教から見たローマ人とゲルマン人の対立

宗教の観点からは、ローマ人とゲルマン人の間の対立関係はどのように説明できるでしょうか。最も適切な選択肢を選んでください。

a) 多くのゲルマン人が、ローマ・カトリック教会から異端とみなされた信仰であるアリウス派へ改宗した
b) ローマ人が異教を捨ててキリスト教を受け入れたことで、ゲルマン人がローマに対抗するようになった
c) ローマが、フランク族からヒスパニアへ派遣された異教の司祭を処刑した
d) フン族がローマ市に侵攻して教皇庁を攻撃したことで、ローマ人はすべてのゲルマン人に対して報復心を抱くようになった
e) ローマ人もゲルマン人も異教徒だったため、宗教は両者の対立を説明する要素ではない

解答と解説

問題1の解答:a) エトルリア人

エトルリア人は、ゲルマン民族の侵入には一切関わっていません。この民族は、紀元前753年にローマ市が建国されるよりも前からイタリア半島に定住しており、王政期のある時期にはローマを支配下に置き、同市の王の任命にも関与しました。エトルリア人はその後、共和政ローマの時代にローマ人によって征服され、その勢力圏に吸収されていきました。

問題2の解答:b) ヘルリ人による皇帝ロムルス・アウグストゥスの廃位

歴史学者が帝国崩壊の画期とするのは、ゲルマン系のヘルリ人の王オドアケルがローマ市を征服し、西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥスを廃位した出来事です。この事件はまさに先述の西暦476年に起こりました。以降、西ローマに皇帝は即位しなくなり、帝国の西部は徐々にゲルマン系諸王国の支配下へと移っていきました。

問題3の解答:c) ローマとコンスタンティノープルの間の内戦

ローマとコンスタンティノープルの間に内戦が起こったことは歴史上ありません。西ローマ帝国の分裂は、ローマでの腐敗や権力闘争、奴隷制の危機とそれに続く経済危機、ローマ軍の弱体化、そしてさまざまなゲルマン民族による絶え間ない攻撃といった、多数の要因が絡み合って引き起こされた出来事です。

問題4の解答:a) ゲルマン人のアリウス派への改宗

宗教そのものがローマ帝国崩壊の直接的な引き金になったわけではありませんが、他の多くの要因と相まって、帝国の危機に影響を与え、拡大させる一因となりました。宗教の観点で言えば、一部のゲルマン民族が、ローマ・カトリック教会から異端とみなされていたアリウス派に改宗していたことが、ローマ人との対立を一段と深めたと考えられます。