歴史クイズ

【演習】ピューリタン革命:入試頻出問題4選と解答・解説

はじめに

17世紀のイングランドで起きたピューリタン革命は、絶対王政を揺るがし、議会政治と立憲君主制への道を開いた近代世界史の転換点です。本記事では、ブラジルの名門大学入試(Unesp-SP、Unifesp-SP)で実際に出題された問題をもとに、文献史料や風刺画を題材とした演習問題4問と、丁寧な解答・解説を紹介します。

第1問

(Unesp-SP)次の文章を読み、下の問いに答えなさい。

「……1640年代から1660年代にかけて、一つの国家類型が破壊され、資本主義が自由に発展しうる新たな政治的枠組みが導入された。」

HILL, Christopher. The English Revolution of 1640. Lisbon: Presença, 1981.

この文章の著者が言及しているのは、次のうちどれか。

  1. 近世最大の海軍大国としてのイギリス海軍の強さ。
  2. イギリス王室による植民地拡大への管理。
  3. 絶対王政の終焉と、議会政治の優位性の高まり。
  4. 毛織物業を中心とする繊維産業の発展。
  5. この時期を特徴づけた商業ブルジョアジーと農業ブルジョアジーとの対立。

第2問

(Unifesp-SP)次の文章を読み、下の問いに答えなさい。

「他のヨーロッパの君主国では、人々が国王の好意を得ようとする。ところがイングランドでは、国王のほうが庶民院の好意を得ようとするのである。」

DELEYRE, Alexandre. Tableau de l'Europe. 1774.

イングランドの君主制と大陸諸国の君主制とのこの違いは、何によるものか。

  1. 長期にわたる精神疾患のため、統治にあたって議会への依存を余儀なくされたジョージ3世の存在。
  2. ハノーヴァー家がドイツ出身であったため、啓蒙専制主義をイングランド人に押しつける正統性に乏しかったこと。
  3. 北アメリカのイギリス植民地が王政への反乱を開始し、国王に譲歩を迫ったこと。
  4. マグナ・カルタのおかげで、イングランドの政治的発展は絶対王政の段階を経なかったという特異性。
  5. 1640年の革命(ピューリタン革命)と1688年の革命(名誉革命)によって、国王から議会を無視する権限が奪われたこと。

第3問

下のドイツの風刺画は、イングランド・ピューリタン革命の指導者オリバー・クロムウェルを風刺したものである。歴史的知識に基づいて、次の問いに答えなさい。

【演習】ピューリタン革命:入試頻出問題4選と解答・解説
オリバー・クロムウェルを描いたドイツの風刺画

風刺画家がクロムウェルを描く際に関連づけたのは、「護国卿」を自称した彼のどのような行為か。

  1. イングランド王になったこと。
  2. チャールズ1世の処刑を行ったこと。
  3. イングランド共和国において独裁者となったこと。
  4. 王政を復活させたこと。
  5. 議会を再開したこと。

第4問

次の文章を読み、下の問いに答えなさい。

「……以前は我々は国王・貴族院・庶民院に支配されていたが、今や一人の将軍、軍法会議、そして庶民院に支配されている。その違いを教えてもらいたいものだ!」

レヴェラー派のパンフレット。In: HILL, Christopher. The World Turned Upside Down. São Paulo: Companhia das Letras, 1991.

ピューリタン革命当時に配られたこのパンフレットの一節は、革命過程がもたらした政治的変化と同時に、権力から民衆大衆が遠ざけられ続けていたことを示している。この革命過程について、誤っている記述はどれか。

  1. チャールズ1世の処刑後、クロムウェルの軍隊はイングランド君主制の廃止と共和政政府の樹立を宣言した。
  2. 王党派の軍隊と、議会が武装させた民衆勢力との間で内戦が勃発した。
  3. 共和制の樹立後、穏健派は議会から排除され、オリバー・クロムウェルが新たな国務会議(コモンウェルス)の長として担ぎ上げられた。
  4. 対立の発端は、側近たちが緊張の種になると指摘していたにもかかわらず、チャールズ1世が議会の解散を拒否したことにあった。

解答と解説

第1問:正解はC

オリバー・クロムウェルが指導したピューリタン革命によって、イングランド議会は国王を従属させる、イングランド最大の政治機関へと変貌しました。これが「新たな政治的枠組み」の中身です。

第2問:正解はE

ピューリタン革命(1640年)と名誉革命(1688年)という二つの革命は、イングランドにおける絶対王政に終止符を打ち、国王よりも議会の権力が上回る立憲君主制の時代を切り開きました。1774年のこの記述は、その結果を如実に表しています。

第3問:正解はC

チャールズ1世を失脚させて国務会議の長となった後、オリバー・クロムウェルは自らの政権に対する反対勢力を抑え込むため、死去するまでイングランドの独裁者として君臨しました。王位には就かなかったものの、実質的な専制支配を行った点が風刺の対象となっています。

第4問:正解はD

選択肢Dの記述とは逆に、まさにチャールズ1世が議会を閉鎖(解散)しようとしたことが、ピューリタン革命として知られる内戦の引き金となりました。王権と議会の対立こそが革命の出発点だったのです。