歴史クイズ

【解答・解説付き】トルーマン・ドクトリンに関する歴史演習問題

トルーマン・ドクトリンは、1947年3月に当時のアメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンが議会で表明した外交政策であり、冷戦時代の幕開けを象徴する出来事として知られています。本記事では、実際の大学入試で出題された過去問をもとに、トルーマン・ドクトリンおよびマーシャル・プランをめぐる歴史的背景を学べる演習問題を4問紹介します。各問題には解答と簡単な解説が付いていますので、学習内容の確認にぜひご活用ください。

問題01 – FAAP 2020

一部の歴史家によれば、トルーマン・ドクトリンは冷戦時代の始まりを告げるものでした。このドクトリンとは何を指すでしょうか。

a) ヨーロッパにおけるナチスの拡張を阻止しようとするアメリカの試み
b) 連合国、特にアメリカとの同盟を通じて、自国へのドイツの進出を食い止めようとするソ連の試み
c) 国際問題を解決する場として国際連合を設立するという構想
d) 戦後ヨーロッパの復興に多額の投資を行おうとするアメリカの試み
e) 戦後にソ連の影響圏が拡大する可能性を回避しようとするアメリカの試み

問題02 – PASUSP 2009

1947年3月、アメリカ合衆国大統領ハリー・トルーマンは外交政策の方針を示し、共産主義勢力の活動によって脅かされていると彼が主張したギリシャとトルコに対する経済・軍事支援の予算承認を求めました。続く同年6月には、ジョージ・マーシャル国務長官が、第二次世界大戦の結果深刻な経済難に陥っていたヨーロッパ諸国を支援するアメリカのプログラムを提示し、経済活動の再建のために約130億ドルの資金提供を打ち出しました。

本文から読み取れる、第二次世界大戦後のアメリカの姿勢として正しいものを選びなさい。

a) 共産主義の拡大を防ぐため、一部のヨーロッパ諸国の経済強化を図った
b) ヨーロッパ経済を回復する唯一の手段として、世界的規模の軍縮を提唱した
c) 支援の見返りとして、ヨーロッパ市民に重い税負担を課す計画を立てた
d) すべてのヨーロッパ諸国間の相互理解を確保するための外交努力を行った
e) ヨーロッパ諸国の国内問題から距離を置き続けた

問題03 – USF 2016/1

冷戦は1947年、トルーマン・ドクトリンとともに始まりました。このドクトリンは、ソ連の拡張主義の「封じ込め」をアメリカ外交政策の最優先課題と定め、西ヨーロッパにおける責任と主導権をワシントンに帰属させるものでした。ヨーロッパ諸国の経済再建を目指したマーシャル・プランは、こうした「封じ込め」政策の重要な手段として機能し、「アメリカ的ヨーロッパ」構築の基盤となりました。(Magnoli, Demetrius『論争コレクション――欧州連合:歴史と地政学』Moderna社、サンパウロ、1996年、29頁)

文中に示された政策のその後の展開について、正しい記述を選びなさい。

a) ソ連および東欧諸国は、アメリカが創設したマーシャル・プランへの対抗策としてCOMECON(経済相互援助会議)を設立した
b) トルーマン・ドクトリンは、戦後最初の数十年間、西ヨーロッパにおけるアメリカの利益を守る上で無力であることが証明された
c) アメリカとイギリスからなる軍事機構NATOは、ソ連の拡張主義に対抗し、ラテンアメリカにおける資本主義の定着のために活発に活動した
d) ソ連(東ドイツ)によるベルリンの壁の建設により、東側地域への資本主義的な労働力の流入は食い止められた
e) マーシャル・プランは東ヨーロッパの復興にも多額の投資を行い、さらに中央アメリカの潜在的な敵であるキューバへのソ連の支援を妨げるための資金供給も実施した

問題04 – UFT 2013/1

「[…]アメリカの政治的想像力に関するいかなる研究も、国家目的への真の執着、すなわち、高い市民的・政治的道徳性(…)を持つアメリカこそ、神意から、地球上の非民主的で未発達な諸民族を救済するという崇高な使命を託されたのだという、深く根付いた確信を無視することはできない。」(抜粋。AZEVEDO, Cecília『「アメリカ」の名のもとに――ブラジルにおける平和の身体(1961-1981)』サンパウロ、博士論文(歴史学)――サンパウロ大学(USP)、1992年、31頁)

数多くのアメリカの介入主義的なプログラムやドクトリンにはっきりと表れているこの考え方のうち、冷戦期にラテンアメリカへ直接的な影響を与えたものは何と呼ばれるでしょうか。

a) ニュー・スティック(New Stick)
b) ビッグ・スティック(Big Stick)
c) トルーマン・ドクトリン
d) ニューディール政策(New Deal)
e) モンロー・ドクトリン

解答と解説

問題01:E
トルーマン・ドクトリンは、ナチス・ドイツでも国連設立構想でもなく、戦後にソ連の影響力が拡大することを警戒し、それを「封じ込める」ことを目的としたアメリカの政策です。これが冷戦の起点とされることが多いのです。

問題02:A
トルーマン・ドクトリンによるギリシャ・トルコへの支援も、マーシャル・プランによる約130億ドルの復興資金も、共産主義勢力の拡大を防ぐためにヨーロッパ諸国の経済を安定・強化させようとする狙いがありました。

問題03:A
マーシャル・プランへの対抗措置として、ソ連は1949年に東欧諸国とともにCOMECON(経済相互援助会議)を設立しました。なお、NATOはラテンアメリカではなく北大西洋地域の集団安全保障機構であり、ベルリンの壁は東側住民の西側流出を防ぐためのものであった点にも注意が必要です。

問題04:C
引用文が示す「神意に基づく使命」というアメリカ特有の思考様式は、冷戦期のラテンアメリカにおける介入の正当化の根拠となりました。モンロー・ドクトリン(1823年)やビッグ・スティック外交(20世紀初頭)、ニューディール政策(1930年代)は時期的に冷戦以前のものです。