歴史クイズ

なぜルーズベルトは真珠湾攻撃後に宣戦布告したのか?その経緯を解説

真珠湾攻撃とアメリカの宣戦布告

1941年12月7日、日本帝国海軍がハワイの真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋艦隊を奇襲攻撃しました。この攻撃により戦艦4隻が沈没し、約2,400名のアメリカ人が犠牲になるなど、米国史上まれにみる甚大な被害を受けました。

「恥辱の日」演説

翌12月8日、フランクリン・D・ルーズベルト大統領は連邦議会で歴史に残る「恥辱の日(Day of Infamy)」演説を行いました。「1941年12月7日は、永遠に恥辱として記憶される日となるだろう」という冒頭の一節は、今日でも広く知られています。

宣戦布告は大統領ではなく議会の権限

ここで重要なのは、宣戦布告の決定が大統領個人の判断によって行われたわけではないという点です。アメリカ合衆国憲法では、宣戦布告の権限は連邦議会に与えられており、大統領単独で開戦を宣言することはできません。

ルーズベルト大統領の演説を受けて、議会はただちに対日宣戦布告案の採決を行いました。その結果、上院は賛成82票・反対0票、下院は賛成388票・反対1票という圧倒的な賛成多数で可決されました。唯一の反対票を投じたのは、モンタナ州選出の平和主義者として知られるジェイエット・ランキン下院議員でした。

歴史的な転換点

こうして1941年12月8日、アメリカ合衆国は正式に大日本帝国に対して宣戦布告を行い、第二次世界大戦への本格的な参戦が決定しました。真珠湾攻撃は、それまで孤立主義的な傾向が強かったアメリカの世論を一変させ、国家を挙げて戦争へ向かう大きな転換点となったのです。