第二次世界大戦と配給制度の始まり
第二次世界大戦中、多くの国々では、希少となった物資や資源を公平に分配するために配給制度が導入されました。この制度では、切符(クーポン)やトークンが発行され、人々はそれを提示することで一定量の配給品を購入することができました。一人あたりに支給される切符の枚数は、世帯の人数、収入、そして配給対象となる品目の種類といった要素によって異なっていました。
アメリカにおける価格管理局(OPA)の役割
アメリカでは、価格管理局(OPA:Office of Price Administration)が配給プログラムの実施を担当しました。品目ごとに切符の価値が異なり、特定の商品を購入するために必要な切符の枚数は、戦争の進行に伴って変化することもありました。
例えば1942年には、バター1ポンド(約450グラム)の購入に赤色ポイント10点、砂糖1ポンドに青色ポイント5点が必要とされました。このように、切符は色分けされたポイント制で運用され、品目ごとの需要や供給状況に応じて柔軟に調整されていたのです。
加工食品用の「プロセッシング・クーポン」
配給制度には、特定の加工食品を購入する際に必要となる「プロセッシング・クーポン(加工用切符)」も含まれていました。これらの切符は、缶詰や瓶詰めなどの加工食品の購入に使われるもので、通常の赤・青・緑の切符とは別に発行されていました。
配給制度の終焉
アメリカの配給プログラムは、1945年6月22日にほとんどの戦時中の価格統制および配給管理が撤廃されたことにより、正式に終了しました。ただし、砂糖など一部の品目については、その後も数か月間にわたって配給が続けられました。
参考:日本の配給制度
日本でも同様に、1940年前後から米、味噌、マッチなどの切符制が段階的に導入されました。1942年には主要食糧の配給が本格化し、国民は「米穀通帳」や衣料切符を提示して、限られた量の物資を受け取る生活を余儀なくされました。戦後も食糧難が続いたため配給制度はしばらく存続し、物資が自由に買えるようになるまでには長い歳月を要しました。