ピクォート戦争とキング・フィリップ戦争の最大の共通要因は、イギリス人入植者とアメリカ先住民諸部族との間で、土地や資源をめぐって高まった緊張関係でした。17世紀のニューイングランドでは、急増する入植者が先住民の土地を次々と開拓したため、両者の摩擦が絶えず、最終的に二つの大規模な武力衝突へと発展しました。
ピクォート戦争(1636年〜1638年)
ピクォート戦争は1636年に始まりました。コネチカットのイギリス人植民者たちは、ピクォート族による一連の攻撃、特にウェザーズフィールドの入植地に対する襲撃事件を口実に、同族への報復に踏み切りました。戦争が激化すると、双方とも他の部族と同盟を結んで戦力を増強し、地域全体に暴力と破壊が広がりました。その結果、ピクォート族は壊滅的な打撃を受け、ニューイングランドにおける勢力をほぼ失うこととなりました。
キング・フィリップ戦争(1675年〜1676年)
キング・フィリップ戦争は「メタコム戦争」とも呼ばれ、1675年から1676年にかけて発生しました。指導者となったのは、ワンパノアグ族の首長メタコムで、彼はイギリス人から「キング・フィリップ」と呼ばれていました。戦争の直接的な引き金となったのは、メタコムの側近ジョン・サッソモンが殺害され、その容疑をかけられたワンパノアグ族の男性たちが処刑された一連の出来事でした。もともと入植者との間に蓄積していた不信感が爆発する形となり、この衝突は瞬く間に拡大し、ニューイングランド全域の多数の先住民部族とイギリス人植民者を巻き込む、植民地時代の北米で最も凄惨な戦争の一つとなりました。
二つの戦争がもたらした歴史的影響
いずれの紛争も、入植者と先住民の利害の衝突に深く根ざしていました。これらの戦争の結果、先住民諸部族の勢力は大きく後退し、ニューイングランドにおけるイギリス人植民地の支配が確固たるものになりました。一方で、先住民社会が受けた壊滅的な打撃は、その後の北米大陸の歴史の方向性を決定づけることとなりました。