サム・ヒューストン(Sam Houston、1793年〜1863年)は、テキサス独立の英雄として名を馳せたアメリカの軍人・政治家です。テネシー州知事、テキサス共和国初代大統領、合衆国上院議員、テキサス州知事と、アメリカ史上でも類を見ない多彩な経歴を持つ人物です。ここでは、サム・ヒューストンに関する興味深い事実を10個ご紹介します。
1. バージニア州生まれ、テネシー州育ち
サム・ヒューストンは1793年3月2日、バージニア州のティンバービルで生まれました。幼少期に家族とともにテネシー州へ移住し、当時まだ開拓地だったノックスビル周辺で育ちました。少年時代は正式な学校教育をほとんど受けておらず、先住民族チェロキー族との交流の中で成長したと言われています。
2. 1812年戦争に従軍
18歳でアメリカ陸軍に入隊し、1812年戦争に参加しました。現在のアラバマ州で行われたホースシュー・ベンドの戦いでは、クリーク族との激しい戦闘の中で重傷を負いました。その勇敢さは、後に第7代アメリカ大統領となるアンドリュー・ジャクソン将軍に高く評価されました。
3. テネシー州知事に就任
戦後、弁護士として政界入りしたヒューストンは、1827年にテネシー州知事に選出され、1829年まで務めました。しかし同年、私生活の問題などを理由に知事職を辞任し、一時的にチェロキー族のもとへ身を寄せた時期もあります。
4. テキサス革命を指導
1835年、メキシコからの独立を求めるテキサス軍の司令官に任命されました。1836年4月のサンジャシントの戦いでは、わずか18分ほどの戦闘でメキシコ軍を撃破し、総司令官サンタ・アナ将軍を捕虜にする大勝利を収めました。この勝利によって、テキサスの独立が現実のものとなりました。
5. テキサス共和国初代大統領
独立後、ヒューストンはテキサス共和国の初代大統領に選出されました。在任期間は1836年から1838年、さらに1841年から1844年の2期にわたり、若い共和国の基盤固めに尽力しました。ちなみに、現在の大都市ヒューストン市の名前も彼にちなんで付けられたものです。
6. 合衆国上院議員として活躍
1845年にテキサスがアメリカ合衆国に併合されると、翌1846年に合衆国上院議員に選出されました。1859年までの約13年間、テキサス州の代表としてワシントンD.C.で活躍しました。
7. テキサス州知事として南部脱退に反対
1859年にはテキサス州知事に当選し、異なる2つの州の知事を務めた唯一の人物となりました。しかし南北戦争の開戦前夜、彼は合衆国からの脱退(南部連合への加盟)に強く反対しました。その結果、1861年に脱退派によって知事職を罷免されることになりました。
8. テキサス州ハンツビルで死去
ヒューストンは1863年7月26日、テキサス州ハンツビルで69歳の生涯を閉じました。遺体はハンツビルのオークウッド墓地に埋葬されています。サム・ヒューストン州立大学のキャンパス内には記念博物館があり、街の近郊には高さ約20メートルの巨大な彼の像が建てられています。
9. テキサスの民衆的英雄
ヒューストンは今日でも、テキサスで最も敬愛される歴史的人物の一人です。テキサス革命における卓越した指導力と、故郷テキサスへの揺るぎない献身により、「テキサス建国の父」の一人として語り継がれています。
10. 各地に残る記念碑
テキサス州内には、ヒューストンを記念する施設や記念碑が数多く存在します。サム・ヒューストン州立大学やヒューストン市は彼の名前に由来し、ワシントンD.C.のアメリカ議会議事堂(ナショナル・スタチュー・ホール)やテキサス州議会議事堂前にも彼の銅像が飾られています。
バージニアの開拓地からテキサスの英雄へ――サム・ヒューストンの波乱に満ちた人生は、まさにアメリカ開拓時代の縮図と言えるでしょう。