エドワード2世(在位:1307年〜1327年)
エドワード2世は、20年以上に及ぶ治世の末、1327年に王位を追われました。その失脚には、軍事面での無能さ、統治能力の欠如、そして周囲の反発を買った人間関係など、複数の要因が絡み合っていました。
軍事的失敗
エドワード2世が廃位に至った最大の要因の一つが、軍事上の度重なる失敗です。特に1314年のバノックバーンの戦いでスコットランド軍に屈辱的な大敗を喫したことは、王の威信を著しく損ない、指導者としての信頼を根底から揺るがしました。
無能な統治と寵臣政治
エドワード2世の統治は、無能さと縁故主義に特徴づけられていました。ピアーズ・ギャヴェストンをはじめとする特定の寵臣だけを異例に重用したため、有力諸侯の間に強い反感が蓄積されていきました。
民衆と貴族からの不支持
優柔不断で弱い印象を与える王、奢侈な生活、特定の側近との親密すぎる関係——これらにより、エドワード2世は広く不人気でした。その結果、貴族階級のみならず一般民衆の目にも、王権の正当性は次第に色あせていったのです。
反乱の勃発
こうした不満が積み重なる中、デスペンサー戦争(1321〜1322年)をはじめとする反乱が相次ぎました。決定的となったのは1326年、疎遠になっていた王妃イザベラが、愛人ロジャー・モーティマーとともにフランスから少数の軍勢を率いて侵攻したことです。この軍はイングランドの貴族や庶民の支持を得て急速に拡大し、エドワード2世は捕らえられてケニルワース城に幽閉されました。
議会による廃位決定
1327年1月、議会はエドワード2世の廃位を正式に決議し、わずか14歳の息子エドワード3世の即位を承認しました。エドワード3世は同年1月25日に戴冠式を挙行し、新体制が幕を開けました。
悲劇的な最期
廃位されたエドワード2世は、1327年9月にバークレー城で死亡しました。多くの歴史家は、これは王妃イザベラとロジャー・モーティマーの指示による暗殺だったと考えています。
エドワード2世の治世は、イングランド史における政治的混乱と内紛の時代の序章となりました。しかし、この動乱期を経て即位したエドワード3世は強力な王権を確立し、後に百年戦争へと突き進むことになります。