第二次世界大戦中、特に1940年から41年にかけてドイツ軍による激しい空襲「ザ・ブリッツ(The Blitz)」に見舞われたロンドンでは、市民たちは身近にあるさまざまな場所を避難先として活用し、命を守っていました。ここでは、当時のロンドン市民が実際に利用した主な避難場所を紹介します。
地下鉄駅(チューブ)——最も象徴的な避難場所
ロンドン空襲といえば真っ先に思い浮かぶのが地下鉄駅です。当初、当局は地下鉄を避難所として認めていませんでしたが、市民たちが自主的に改札前に行列を作り押し寄せた結果、政府は方針を転換しました。
以降、プラットフォームや線路脇、トンネル内に大勢の人が寝泊まりするようになり、ピーク時には1晩あたり約17万人もの市民が地下鉄で夜を過ごしたと記録されています。簡易ベッドや毛布が支給され、駅構内には独特の共同体のような雰囲気が生まれました。
公共施設・市営建物
学校、図書館、教会堂、区役所といった頑丈な公共建築物も、地域の避難所として開放されました。多くの施設には簡易ベッドが備え付けられ、水や食料の供給も行われるなど、正式な公設避難所として機能していました。
専用に建設された防空壕
政府や地方自治体は、街角や公園などにレンガ造りの「ストリート・シェルター」と呼ばれる専用防空壕を数多く建設しました。自宅から徒歩圏内に設置されたこれらの壕は、警報が鳴った際にすぐ駆け込める身近な避難場所となりました。
アパートや商店の地下室
集合住宅や店舗の地下室も、手軽な避難場所として広く利用されました。地上に出ることなく避難でき、家族全員で一緒に過ごせることから、特に人気のある選択肢でした。
裏庭に掘られた個人用シェルター
戦前の1939年からは、「アンダーソン・シェルター」と呼ばれる小型の組立式防空壕が各家庭に配布されました。亜鉛メッキ鋼板を半円形に組み合わせ、土で覆って裏庭に埋め込むタイプで、爆風や飛散する破片から家族を守る役割を果たしました。
また、庭がない家庭向けには、室内に置ける鉄骨製のテーブル型避難具「モリソン・シェルター」も登場しています。
教会も避難場所に
タイミングが合えば、一部の教会も避難所として扉を開いていました。堅牢な石造りの建物が多く、地域住民にとって心の拠り所でもあった教会は、物理的にも精神的にも安心をもたらす場となりました。
まとめ
このように、ロンドン市民は地下鉄駅、公共建物、専用防空壕、地下室、裏庭のシェルター、さらには教会まで、あらゆる場所を工夫して避難に活用しました。激しい爆撃の中でも、人々は互いに助け合いながら日常を守り抜いたのです。こうした避難生活の記録は、戦時下の市民の強靭さと団結力を今に伝える貴重な歴史の証となっています。