古代アテネでは、ペロポネソス戦争の期間中、民会(エクレシア)によって毎年10人の将軍が選出され、国の軍事力の指揮を委ねられていました。彼らは「ストラテゴス(strategoi)」と呼ばれ、1年任期で選ばれる重要な公職でした。
ストラテゴスたちは単なる指揮官にとどまらず、ポリス全体の軍事作戦の立案・調整を担い、戦争の帰趨に大きな影響力を持っていました。アテネの民主政において、将軍職は市民の投票によって選ばれる数少ない重要役職の一つであり、優れた弁論力と軍事的才能を兼ね備えた人物が就任するのが通例でした。
ペロポネソス戦争期に任命されたアテネの10人の将軍
以下は、ペロポネソス戦争の時期にアテネ民会によって将軍に任命されたとされる10人の人物です。
- ペリクレス(Pericles) – 紀元前430年。アテネの黄金時代を築いた政治家・将軍
- ソフォクレス(Sophocles) – 紀元前429年。悲劇作家としても名高い
- ピュトドロス(Pythodorus) – 紀元前428年
- クレオン(Cleon) – 紀元前427年。強硬派の指導者として知られる
- ニキアス(Nicias) – 紀元前426年。シケリア遠征の総指揮官
- デモステネス(Demosthenes) – 紀元前425年。ピュロスなどで活躍した名将
- ヒッポクラテス(Hippocrates) – 紀元前424年。デリウムの戦いで戦死
- ラマコス(Lamachus) – 紀元前423年。シケリア遠征で戦死した歴戦の将軍
- フォルミオ(Phormio) – 紀元前422年。海戦での勝利で名を残す
- スラシュブロス(Thrasybulus) – 紀元前411年。民主政復活の立役者
ストラテゴス制度の意義
ストラテゴスは当初、クレイステネスの改革以降、10部族から各1人ずつ選出される仕組みでした。この制度により、特定の個人への権力集中を防ぎつつ、戦時下でも継続的な軍事指導が可能となりました。ただし実態としては、ペリクレスのように有能な人物が連年再選され、事実上の指導的地位を占めることも珍しくありませんでした。
このように、アテネの将軍たちは民主的な選挙によって選ばれながらも、戦争という極限状況の中でポリスの命運を左右する重大な責任を担っていたのです。