歴史クイズ

なぜ議会は「テスト法(審査法)」を可決したのか?——「1973年」ではなく1673年です

「1973年のテスト法」は存在しない

まず結論からお伝えすると、「1973年のテスト法(Test Act)」という法律は実在しません。おそらく、17世紀にイングランドおよびアイルランドで制定された一連の「審査法(テスト・アクト)」、とりわけ1673年の審査法と混同されているものと思われます。西暦の「1673」が「1973」と読み違えられた可能性が高いでしょう。

審査法(テスト・アクト)とは何か

審査法とは、1661年から1689年にかけてイングランドとアイルランドで成立した法律群で、イングランド国教会(聖公会)への宗教的忠誠を公職者に強制することを目的としたものです。

主な法律

  • 市政法(Corporation Act、1661年): 地方自治体の役職就任者に対し、国教会での聖餐受領、国王および国教会への忠誠宣誓などを義務付けました。
  • 審査法(1673年): すべての文官・武官の公職就任者に対し、カトリックの中心教義である「化体説(トランサブスタンシエーション)」を否定する宣誓と、国教会での聖餐受領を義務付けました。これによりカトリック教徒や非国教徒(プロテスタント分離派)が公職から事実上排除されました。
  • 審査法(1678年): 同様の宣誓を貴族院議員にも課しました。

なぜ議会は審査法を可決したのか

議会がこれらの法律を可決した背景には、次のような事情がありました。

1. カトリック勢力への強い警戒心

王政復古(1660年)後のイングランドでは、カトリック教徒である国王チャールズ2世の弟ジェームズ(後のジェームズ2世)の王位継承など、カトリック勢力が宮廷内で影響力を拡大することが大きな懸念材料となっていました。プロテスタント多数派を代表する議会は、カトリック教徒が国家の重要な地位を占めることを防ごうとしたのです。

2. 国家と国教会の一体化の維持

当時のイングランドでは、国王への忠誠とイングランド国教会への帰依は不可分のものであるという考え方が主流でした。公職候補者の宗教的立場を確認する手段として、聖餐の受領や特定の宣誓が制度的に利用されました。

3. 反カトリック世論の高まり

1678年の「ポピッシュ・プロット(カトリック陰謀事件)」を契機として反カトリック感情が一気に高揚し、より厳格な排除措置を求める声が議会で強まりました。

その後の審査法

審査法は150年以上にわたり、非国教徒やカトリック教徒による公職就任の障壁であり続けましたが、1828年に廃止されました。翌1829年にはカトリック教徒解放法が成立し、カトリック教徒にも国会議員となる道がようやく開かれました。

まとめ: 「1973年のテスト法」は実在せず、ご質問はおそらく1673年の審査法を指しています。議会が審査法を可決したのは、国教会への宗教的統一を強制し、カトリック教徒や非国教徒を公職から排除することによって、プロテスタント国家としてのイングランドの安全と体制を守ろうとしたためです。