17世紀のイギリス領北米植民地では、宗教的背景や地域ごとの事情を反映しながら、各地で独自の教育制度が芽生えていきました。本記事では、1638年前後を中心に、ニューイングランド・中部・南部の各植民地における学校の設立や教育関連法の制定を年表形式で整理し、さらに女子やアフリカ系アメリカ人がどのような教育を受けたのかについても解説します。
ニューイングランド植民地の教育
ピューリタンたちが中心となって開拓したニューイングランド地方は、「聖書を自ら読める信徒を育てる」という宗教的動機から、北米でも最も早く公的な学校制度が整備された地域です。
マサチューセッツ
- 1635年:アメリカ合衆国最初の公立学校がボストンに設立されました(ボストン・ラテン・スクール)。
- 1636年:ハーバード大学の前身となるハーバード・カレッジが創立され、高等教育の拠点が誕生しました。
- 1642年:マサチューセッツ総会(General Court)が、50家族以上の町には文法学校(グラマースクール)を設置することを義務付ける法律を可決しました。
コネチカット
- 1638年:コネチカット植民地が成立しました。
- 1660年:コネチカット総会が、50家族以上の町に文法学校の設置を義務付ける法律を可決しました。
ニューハンプシャー
- 1638年:ニューハンプシャー植民地が成立しました。
- 1693年:ニューハンプシャー議会が、他のニューイングランド諸植民地と同様に、50家族以上の町への文法学校設置を義務付ける法律を可決しました。
中部植民地の教育
中部植民地はオランダやスウェーデンなど多様な国籍の人々が暮らしていた土地であり、教育もその多様性を反映したものとなりました。
ニューヨーク
- 1625年:当時オランダ領「ニーウ・アムステルダム」だったこの地に、最初の学校が設立されました。
- 1664年:イギリスがニーウ・アムステルダムを占領し、「ニューヨーク」と改称しました。
- 1693年:ニューヨーク議会が、50家族以上の町に文法学校の設置を義務付ける法律を可決しました。
ペンシルベニア
- 1681年:ウィリアム・ペンによってペンシルベニア植民地が創設されました。
- 1682年:フィラデルフィアに最初の学校が設立されました。
- 1683年:ペンシルベニア議会が、各郡に学校の設置を義務付ける法律を可決しました。
ニュージャージー
- 1664年:イギリスがニュージャージーを獲得し、東ジャージーと西ジャージーの2つの植民地に分割しました。
- 1675年:東ジャージーのエリザベスに最初の学校が設立されました。
- 1682年:西ジャージーのセイラムに最初の学校が設立されました。
南部植民地の教育
プランテーション経済が主体だった南部では、人口が広範囲に分散していたこともあり、北部に比べて学校制度の整備は遅れ気味でした。それでも、各植民地は段階的に学校設立のための法制を進めていきます。
バージニア
- 1607年:北米初の恒久的なイギリス人入植地としてジェームズタウンが建設されました。
- 1620年:ヘンリコ郡にバージニア初の学校が設立されました。
- 1660年:バージニア植民地議会(House of Burgesses)が、各郡に無料学校(フリースクール)の設置を義務付ける法律を可決しました。
メリーランド
- 1634年:メリーランド植民地が成立しました。
- 1635年:セントメアリーズシティに最初の学校が設立されました。
- 1696年:メリーランド議会が、各郡に無料学校の設置を義務付ける法律を可決しました。
ノースカロライナ
- 1653年:カリタック郡に最初の学校が設立されました。
- 1715年:ノースカロライナ議会が、各郡に無料学校の設置を義務付ける法律を可決しました。
サウスカロライナ
- 1670年:チャールストンに最初の学校が設立されました。
- 1710年:サウスカロライナ議会が、各郡に無料学校の設置を義務付ける法律を可決しました。
女子の教育
- 多くのイギリス植民地では、女子に対する就学義務は課されていませんでした。
- しかし、私立学校に通ったり、男子と同じ学校で学んだりする女子も一部存在しました。
- 家庭においては、母親や女性の親族が読み書きなどの基礎教育を行うことも一般的でした。
アフリカ系アメリカ人の教育
- 多くのイギリス植民地では、アフリカ系アメリカ人が学校に通うことは認められていませんでした。
- 一方で、ボストンのアフリカン・スクールやバージニアのプリンス・エドワード・アカデミーなど、アフリカ系アメリカ人のために設立された少数の学校も存在しました。
- また、家庭内で両親や周囲のアフリカ系の人々から教育を受けるケースも見られました。
まとめ
1638年当時のイギリス植民地の教育は、まさに発展の途上にある段階でした。ニューイングランドでは宗教的信念を背景に公立学校やハーバード・カレッジが相次いで誕生し、50家族以上の町に文法学校を義務付ける法制度へと発展していきました。中部および南部の植民地でも、時期こそ異なるものの、同様の方向で学校設立法が整えられていきます。
ただし、その恩恵は万人に等しく与えられたわけではありません。女子の教育は主に家庭や私的な場に限られ、アフリカ系アメリカ人はほとんどの場合、正規の教育から締め出されていました。こうした教育機会の格差は、その後のアメリカ教育史における大きな課題として長く引き継がれることになります。