用語:ブリッツクリーク(電撃戦)
「ブリッツクリーク(Blitzkrieg)」はドイツ語に由来する軍事用語です。「Blitz(稲妻)」と「Krieg(戦争)」という二つの単語を組み合わせた造語で、「稲妻のように速い戦争」を意味します。
用語の起源
この概念の起源は、ドイツの軍事戦略家ハインツ・グーデリアン(Heinz Guderian)が1937年に発表した著書『注意!戦車隊!(Achtung – Panzer!)』にさかのぼります。同書の中でグーデリアンは、戦車を中核とした機甲部隊による迅速な突破作戦の有効性を提唱しました。
第二次世界大戦における電撃戦
ブリッツクリークは、1939年9月から1941年6月にかけての時期に特に顕著となり、ドイツ軍の軍事作戦を特徴づけました。ポーランド侵攻(1939年)やフランス侵攻(1940年)など、第二次世界大戦初期のドイツの快進撃は、この戦術の成功例として知られています。
その概念は、陸軍と空軍が緊密に連携した攻勢によって敵の抵抗を素早く打ち破り、機動力の高い部隊が予測困難な方向から敵陣深くへ進撃するというものでした。この戦術を実行するうえで、戦車、自動車化された砲兵部隊、歩兵、そして近接航空支援が重要な役割を果たしました。
しかしながら、この戦略にも弱点はありました。1941年に開始されたバルバロッサ作戦では、東部戦線の広大な土地に補給線が過剰に伸びた結果、電撃戦は大きな失敗を経験することとなります。ソ連の奥地への長距離進撃に伴う補給難と厳しい冬の気候が重なり、ドイツ軍の攻勢は頓挫しました。