歴史物語

北朝鮮版『キリスト降誕』?独裁者の母・金正淑、偉大な執念と『魔法の誕生』の真実

天国に最も近い場所で

朝鮮の義兵が日本に抗して拠点を築いた聖山・白頭山(ペクトゥサン)。1942年2月16日未明、この地の粗末な小屋で「朝鮮の母」金正淑(キム・ジョンスク)が一人の男児を産んだ。東方の三博士も羊飼いもいない。あったのは──大量のプロパガンダだけだ。

彼と彼女、そして革命

金正淑は15歳で銃を取った。実母と継母を日本軍に殺され、自らの命を占領者との戦いに捧げると決意したのだ。彼女は金日成(キム・イルソン)が率いる少年義勇隊に志願した。

北朝鮮版『キリスト降誕』?独裁者の母・金正淑、偉大な執念と『魔法の誕生』の真実
金日成と金正淑の「結婚写真」(北朝鮮プロパガンダ資料より)

最初は目立たぬ部下の一人に過ぎなかった。転機は1937年夏、日本軍が彼女の所持品からビラ印刷用の版下を発見したときだ。死を覚悟した彼女は仲間を励ました──「私は死ぬ。だがお前たちは諦めるな!」と。この気概(もし史実なら)が指揮官の心を動かしたのだろう。

二人の馴れ初めは謎に包まれている。北朝鮮の検閲という篩を通過した情報には、せいぜい真実の欠片しか含まれていない。確かなのは、金日成にとってゲリラ闘争と革命が最優先であり、家庭生活はずっと後回しだったことだ。

『女性独裁者たち2』の著者ディアーヌ・デュクレによれば、1941年、キャンプにいた女性たちの説得でようやく金日成は正淑との写真撮影に応じた。金日成は回想録でこう記している。

「彼女がそれを知ると、真っ赤になって女たちの陰に隠れた。彼女たちは笑いながら彼女を私の方へ押しやった。同志は手際よくシャッターを切った。女性と並んで写真に収まるのは、これが生まれて初めてだった。正淑と私は、実質的にこれを『結婚写真』として扱ったのだ。」(D.デュクレ『女性独裁者たち2』より引用)

北朝鮮版『キリスト降誕』?独裁者の母・金正淑、偉大な執念と『魔法の誕生』の真実
パルチザンの中の金日成を描いたプロパガンダポスター。実際彼は大戦中の大半をソ連で過ごした

北朝鮮のプロパガンダでは、金日成は終戦まで日本と戦い続けたとされる。しかし現実は異なる。彼がソ連領内のヴィャーツコエ軍事基地で赤軍少佐として過ごしていた頃、革命の太陽の後継ぎは誕生した。花が冬に咲き乱れ、鳥が賛歌を歌い、二重の虹が架かる──そんな奇跡はどこにもなかった。

正淑が白頭山で産んだわけではない。公式発表の年(1942年)ですらない。だが、より良いPRのためなら何でもやるのがこの体制だ。

両親はどこにいたのか

実のところ、第二次世界大戦中、金日成は同胞で編成された部隊を率いる赤軍少佐としてソ連にいた。革命の熱に取り憑かれた彼に、正淑と過ごす余裕などなかった。一方彼女は、異常とも言える執念で金日成の気に入ろうとしていた。

北朝鮮版『キリスト降誕』?独裁者の母・金正淑、偉大な執念と『魔法の誕生』の真実
金日成の足元に(現実さながらに)金正淑が配置された北朝鮮の記念碑

現代風に言えば、彼女は「狂気じみた献身の文化工作員」だった。デュクレによれば、正淑は兵士や日本統治下の朝鮮人向けに舞踊公演を企画し、道路修復といった「重要な公民的義務」へ駆り立てた。女性をパルチザンの「慰み者」に甘んじさせないよう、女性たちにパラシュート降下や装備満載での川渡りまで訓練させたのも彼女だ。

金日成への盲目な献身は、息子の出生地を偽るほどだった。後継者の誕生地がソ連領内では、「神聖な指導者の後継ぎ」のイメージが崩れる。だからプロパガンダは「聖山・白頭山での誕生」をでっち上げた。アムール川ほとりのソ連軍基地での出産など、未来の神的指導者の生涯にふさわしくないからだ。

年も改ざんされた。実際には1940年か1941年生まれだ。わずかに若返らせたのは、父・金日成(1912年生)と息子のダブル節目祝典を盛大に行うためだ。

狂気の母?

祝典の前に朝鮮を解放せねばならぬ。パルチザンたちは山野を彷徨い続けた。ある寒い10月の夜、正淑は再び「偉大な司令官」への忠誠を証明しようとした。

北朝鮮版『キリスト降誕』?独裁者の母・金正淑、偉大な執念と『魔法の誕生』の真実
出生地も生年も改ざんされた金正日。プロパガンダ画では幼くして日本軍と戦う姿で描かれる

金日成の下着を聖遺物のように抱き、冷たい川を渡って洗濯し、乾かす時間もないまま自分のジャケットの下に忍ばせ、体温で乾かしながら行軍した。凍える夜、手は荒れ、身震いが止まらなかった。誇らしげに差し出した清潔な下着を、金日成は最初は叱責した。だがその献身を見て、デュクレによれば彼は涙したという。この偏執が奇異なら、次のエピソードは到底理解を超える。

次の出撃に備え、正淑は司令官の行軍を少しでも楽に、履き心地を良くしようと考えた。閃いたのは「柔らかい中敷き」だ。素材がない。だが「女の執念と自然の賜物」が解決した──自分の漆黒の三つ編みを切り、中敷きに仕立てたのだ。金日成が靴を履いた瞬間、妻の髪の毛が足裏にあったときの表情やいかに。シャッターが切られなかったのが惜しまれる。

安らかな余生……とはならず

金日成がソ連の後押しで「朝鮮の太陽」(最有力候補が不在だったため、共産圏で最も学歴のない指導者が選ばれた)となり、平壌に移った1945年、正淑はようやく息をついた。ゲリラの掘っ立て小屋はプール付きの邸宅に変わり、息子シュラ(金平一説もある長男)と娘キム・ギョンヒが生まれた。革命の指導者とテラスを駆け回る子供たちのidyllicな光景は長く続かなかった。1948年、正淑の世界は崩壊する。

「家の中を走り回っていた幼いシュラが、母の視界から一瞬消えた。 moments later、正淑はプールサイドで息子の遺体を発見した」

この衝撃は朝鮮のファーストレディを完全に打ち砕いた。彼女は二度と健康も精神的均衡も取り戻せなかった。1949年、32歳の正淑は老婆のような顔つきになっていた。

北朝鮮版『キリスト降誕』?独裁者の母・金正淑、偉大な執念と『魔法の誕生』の真実
実際はソ連にいた時期の、日本軍と戦う二人を描いたプロパガンダ画
北朝鮮版『キリスト降誕』?独裁者の母・金正淑、偉大な執念と『魔法の誕生』の真実
金正日の母・金正淑。ゲリラ生活と長男の死が彼女を蝕んだ

長年のゲリラ生活で衰えた体に、シュラの死がトドメを刺した。次の出産に耐えられるはずもなく、1949年9月22日、死産の娘を産み落として息を引き取った。

自殺説、あるいは「代表性に欠ける」(文盲でゲリラ生活でボロボロになった)として金日成の内輪から排除された説もある。真相は闇の中だ。孫・金正恩(キム・ジョンウン)が治める国家では、最初でも最後でもない機密事項だ。だが、「偉大な金正日誕生」という奇妙な神話──まさに白頭山版『キリスト降誕譚』だけが、今も語り継がれている。

出典

  • Diane Ducret, Women Dictators 2, Znak Social Publishing Institute, Krakow 2013.